4月14日
病院が、「ご遺体を早く引き取ってください」と言うのに葬儀社の手配に手間取ったので、葬儀社が運んでくれたのは夕方だった。それで病院の支払いがまだなのに姉が寝込んでいるので、私が払いに行くことになった。橋本の家を朝8時に出て河内長野へ寄り3時間仕事をし、10時に注文の荷物を持って出かけた。近くに宅急便取り扱い店があるのでそこから送るつもりだった。杖をついているので、片手に荷物を持つとバランスがとれず、すぐに腰が痛くなる。宅急便取り扱いの酒店は休みだった。仕方なく持ったままバスに乗り、南海電車の駅まで行った。
バスが止まったのは駅の改札口まで昇れるエスカレーターの前だったが、宅急便取り扱い店のある表通りまで歩き、荷物を預けた。通りの方からは何故かエスカレーターが無いので、階段を一段ずつ上った。新今宮でJRに乗り換えて梅田まで行き、梅田からバスで母の家へ。伊丹の病院へ行くならついでに、役所へ「埋葬許可証」も持って行かなければならない。それを見せて健康保険証を返せば、埋葬料五万円が貰える。12時40分に母の所へ着いたら、母は弟のお骨の前でお経をあげていた。「長い長いお経や。1時間以上もやってる」と、昼ご飯を待ちあぐねている父が言った。
10分待つ。母にはいくらでも時間がある。「15日の昼頃に行く」と言ってあったのに、なんにも用意していない。「おい。まだか」と言われてやっとやめたが、それから役所へ持って行く「埋葬許可証」と印鑑と、病院へ払うお金を出した。「病院へ、今から行きますから死亡診断書を書いておいてくださいと電話しといて」と言ったら、病院の電話番号を知らないと言う。まあいいか。書くのに時間が掛かるようなら、あとで郵送してもらおう。
「神戸行きに乗って二つめの駅で乗り換えて終点が伊丹や」と父。「駅まで遠いから、バスで十三まで行って伊丹行きに乗ったらええ」と母。バスの停留所まで歩いて、十三のバス停から阪急電車の駅まで歩いたら、歩く道程はここから駅へ行くのとさして変わらない。母はムカシから、なんでも「ああしろ。こうしろ」と指図するのだ。私は大抵、母の言うとおりにはしない。「駅まで行く」と言ったら、「送ったる」とお達者カーを押して付いて来た。「判ってる」と言っても、「そこを左…」「また左…」「そこは右へ…」と後ろから教える。商店街の入り口まで来たら、「真っ直ぐ行って、右やで」と言って、やっと帰って行った。
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Last updated
2002.05.04 17:30:09
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