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時空の流離人(さすらいびと) (風と雲の郷本館)

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February 9, 2007
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カテゴリ:国内旅行

 広島の誇る偉人と言えば頼山陽である。彼の書いた「日本外史」は、幕末の尊王攘夷運動に大きな影響を与えたことで有名である。

 山陽は安永9年(1780)、大阪に生まれた。父の春水が、広島藩に召抱えられたため、広島に住むようになった。当時頼家の人々が当時住んでいたところに、今は、「頼山陽史跡資料館」が建っている。広島市の中心と言っても良いところにあり、ビル街に囲まれた、小さな博物館である。

「頼山陽史跡資料館」
頼山陽史跡資料館1 頼山陽史跡資料館2


 中庭も、ビルに囲まれて、こじんまりしている。

「頼山陽史跡資料館の中庭」
頼山陽史跡資料館3


 この山陽先生、若い頃は、結構困った人だったようで、家族に相当迷惑をかけていたようである。一度脱藩を図ったため、廃嫡されて、自宅の離れに5年間も幽閉生活を送っていた。当時は、脱藩と言えば、本人は死罪、家は断絶になってもおかしくないくらいの重罪である。この程度で許されたのは、幸運であろう。

 山陽が、幽閉生活を送った離れは、現在は「頼山陽居室」として、国の史跡になっている。原子爆弾により、当時の居室は消失したため、昭和33年(1958)に、現在の居室が再建された。

「頼山陽居室」

頼山陽史跡資料館4

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Last updated  February 9, 2007 07:30:29 AM
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