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カテゴリ:スポーツ
夏の高校野球が閉幕しても、いまだ熱い甲子園の余韻が続いている。なんでも高校選抜チームが渡米して地元チームと五試合の親善試合を行うとかで、代表選手が合流し全体練習を始めたのだそうだ。
早稲田実業の斉藤投手にあやかって駒苫の田中投手ほか何人もの選手が青いハンカチを手にしていたのはご愛嬌だが、それすらも即席チームをまとめるのに一役買っているらしい。 あの世代、チヤホヤされると天狗にもなりかねない年頃なのだが、まだまだ緊張感が持続しているのだろう、渋谷や池袋で見かける十代の若者とは鍛えられ方が違う。 斉藤投手が言っていた。「最高の試合を行った選手と、今度はチームメイト。自信になります」。田中投手が斉藤投手に声をかける。「決勝戦はお互い大変だったね」。 ここには、敵同士のライバル心が、既に共に死線をくぐり抜けた連帯感へと昇華している様が読み取れる。新たな絆が生まれつつあるのを感じ微笑ましい。スポーツに関って良かったと思える瞬間だ。これからの五試合は、この生徒たちの将来に大きな影響を与える試合となるだろう。 夏の甲子園といい、春先のWBCといい、今年は野球が熱い。しかしプロ野球の方はというと、地域密着型の日ハム、楽天、ロッテ、ソフトバンクなどは観客が入っているようだが、全体としての盛り上がりは見られない。テレビ放映も巨人戦の中継が減っている。(これは健全な証。今までが異常でした。) この高校野球とWBCに共通しているものは何だろうか。アマチュアとプロという決定的な違いは勿論あるのだが、「名誉」「献身」「無心」「フォア・ザ・チーム」といったところがキーワードだろうか。 一人一人が、自分の役割に徹し、与えられた使命を全うし、見返りを求めず、集団の中で全力を尽くす。「今ここで斃れてもかまわない」という、時に狂おしいまでの自己犠牲。そういった姿勢が好試合を生み、最終的な頂点を極めることができたのではないか。 つまり、日本人が元来持っていた特性というものをうまく発揮したのがWBCの王ジャパンであり、夏の駒大苫小牧と早稲田実業と考える。これ即ち昨今のプロ野球から失われたものだ。 もともと私は、「さわやかな高校生」というアナや解説者のコメントは好きではない天邪鬼な性格なのだが、それでもこんなことを書くのは、くだんの三兄弟とその父親のことが頭をよぎるからだ。 三兄弟に詳しい記者などは、「いや、彼らは普段は言葉遣いも丁寧で…」「ヒールなイメージは演出だから」という。ボクシングが興行でありショーであると言ってしまえば元も子もない。が、しかしプロデュースしている父親には猛省を促したい。 記者会見(調印式?)の席でハンバーガーを食べたり、チキンをほおばることは、格好良いことではない。年上の記者にため口をきくということは、社会で許されることではない。真っ当な大人達から見れば、彼らの姿は滑稽であり、格好悪い、ダサいものに映るのだが、それを反骨精神の現われだと曲解してもてはやす者がいる。それを当たり前と思う若者達がいる。まねをする子供達がいる。 「見たくなければ見るな」とか「誰にも迷惑はかけていない」という父親の言い草は、近頃学校や教師に理不尽な無理難題を吹っかける保護者と似ている。「迷惑をかけない」生き方というのは、道徳的なようでいて決してそうではない。「よき行いを為す」「人のためになる」生き方から比べればまだまだ自己中心的と言えるだろう。「自分は迷惑をかけていない」という「自子中心主義」こそはた迷惑。迷惑をかけずに社会の秩序を紊乱したり、醇風美俗を破壊することは十分可能なのだ。 昨今の高校野球が多くの問題を抱えており、綺麗事ですまないことは良くわかる。出場校の幾つかが過去に部員の不祥事を経験していることも百も承知。が、そこから立て直そうとする指導者と、居直る指導者では決定的に異なる。 さて、くだんの選手はランダエタ選手との再戦が決まったという。またも茶番は繰り返されるのだろうか。高校球児たちと年がさほど違わない三兄弟が、この夏の甲子園から何かを感じ取っていることを切に願う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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早稲田実業の斉藤君も、駒大苫小牧の田中君も3連投も4連投もしてるけど大丈夫かな。仙台育英の大越投手のようにプロで使い物にならなくなるといいけど。
(2006年08月27日 23時17分48秒)
ヒットアンドアウェイさん
日程については、もう少し配慮が必要です。大越君の方は、本人のプライドと、大学に入ってからの厳しさのギャップ、大学生活の誘惑が複雑に絡んで、出奔騒ぎになりました。 (2006年08月28日 10時51分26秒) |
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