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カテゴリ:愛国心
4月26日(木)のチャンネル桜「防人の道」を見ていたら、その日が平成3年に日本が掃海艇部隊をペルシャ湾に派遣した日であると佐藤キャスターが話していました。(相方の桜林さんの誕生日というかと思ったんですけどね)
その当時は、冷戦構造が崩壊したとはいえ、まだまだ国内では社会党が強く、自衛隊の海外派遣が「派兵」とか、場合によっては侵略に道を開くと言われ、PKO法案の審議で「牛歩」なる異常な戦略が採られる時代です。 まあ、私も大学は卒業していましたが気分は学生だったため、当時の仲間達と掃海部隊に激励の手紙を出したり、千羽鶴を折ったりしておりました。いよいよ帰国となった10月30日に向けて、広島県呉市で感謝の奉迎行事を開催しようと企画し、現地の社会人、学生と協力しながら活動しました。 当時の記録がすぐには出てこないので、とりあえず雰囲気の分る写真だけアップします。 帰国した掃海艇の一隻。埠頭に接岸するところです。手前は海保の巡視艇。掃海艇は大変小さく、後から乗り心地もよくないと聞きましたが、この木造船でペルシャ湾を往復したというのも脅威です。当時の政治家が「木造船に乗っているのか。予算をつけて金属製にしてやろう」と言ったという笑えない話もありますが、現在の国会議員は大丈夫でしょうか。 チャーターしたフェリーでの学生や市民の歓迎。掃海部隊の皆さんは、甲板で帽子を振って応えていただきました。一同涙、涙でした。 クルーザーやヨットを持っている方に便乗して歓迎する人たち。後ろのフェリーが右舷に傾いているのがお分かりと思います。それは乗客が片方に詰め掛けたため。 翌日、学生や呉市民の感謝のメッセージを海上自衛隊呉地方総監部に届けた時の記念写真です。これは庁舎の陸側の玄関ですが、現在の庁舎は中央部にドームが再建されているようです。 この掃海艇の歓迎では、時の海部首相が歓迎式典で軍艦マーチが流れるのはけしからんと、演奏がおわってからのこのこランチで接岸するという光景がありましたが、あれから16年たって防衛庁が省となり、国際協力も堂々と出来るようになり、隔世の感があります。 が、果たして国民が自衛隊を「私たちの軍隊」として、物心からサポートするようになったかといえば、まだまだ課題は多く、国防教育を含めた啓発活動が重要です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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