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カテゴリ:Japan National Team

  2002.10.13 東京
  ~ 国立競技場 ~

日 本/Japan
GK 楢崎 DF 服部 松田 秋田 名良橋 MF 小野(81分 中田浩) 稲本(81分 福西) 中村 中田英 FW 鈴木 高原(72分 柳沢

ジャマイカ /Jamaica
GK ロレンス(74分 リケッツ) DF マクドナルド デイビス グッディソン スターレット デイゼイ デイリー(61分 フラー) MF ハイド(71分 ジョンソン) ウィリアムズ(61分 ディクソン) ポール(79分 テイラー) FW ヘイルズ

 

    日 本  1 - 1  ジャマイカ                                                 -------- (JPN) = 7分 小野 ---------          
-------- (JAM) = 79分 フラー --------

ジーコ新体制発足 レゲエボーイズと初陣                          2002年の日韓ワールドカップ終了後、トルシエ前日本代表監督の後任として何人かの候補が挙がったが、川渕日本サッカー協会キャプテンの「ジーコでいいんじゃないか」「ジーコに聞いてみろ」のひと言、ふた言からジーコと交渉をスタート。
常々、「監督は大変な重圧がかかるので絶対にやらない」と語っていたジーコだったが、どんな心境の変化があったのか、コロリンコと考えを一変させ要請を受諾。かくして日本サッカー界に絶大なる存在感を誇る「世界のジーコ」が、第22代日本代表監督に就任した。現役引退後も鹿島アントラーズとはパイプもあり、一時は総監督という立場にもいたが、監督そのものは実際には未経験。「絶対やりたくない」と言っていたのだから当たり前だが......。
当初、このクラブの監督もしたことがないという事実を否定的に捉える意見は少数派で、それよりも「世界のジーコが監督になる」という期待感の方が圧倒的に多かった。その背景には前監督の厳しい規則性に基づいた戦術から脱却した新しいサッカーを求める声が多数あったことも否定できない。日本サッカーとの関わりも長く、日本の特長も知り尽くしているブラジルの英雄ならスペクタクルなチームを作ってくれる、と高い信頼が寄せられるなか、新チームは立ち上がった。                 

ジーコ

目玉は「黄金のカルテット」 約束事なきコンビネーション
初ゲームとなるジャマイカとの親善試合の先発リストに並んだ、4人のMF。ボランチに小野、稲本、2列目に中田英、中村。トルシエ時代には同時起用はあり得なかった4人であり、また共存は不可能と言われた面々ある。プレースタイルは違ってもゲームメイクタイプを3人も置くのは、どんなチームの監督でもやらない。この「黄金のカルテット」が、ジーコジャパン当初の最大の売りとなった。「基本的に自由」「選手たちに任せる」と言われた、何ら制約のないコンビネーション(実際はすべてがそうであるはずがないのだが)は、日本でトップのテクニシャン4人が華麗なボール回しを可能にし、ゲームをコントロールできるとの勘違いを生んだ。
確かに7分に小野がハーフェイライン近くでカットしたボールから、中田英、高原とキレイに繋いで、最後に小野が右サイドに飛び出しながら左足で合わせた先制ゴールは、新生日本スパークを印象付けたが、スピードに乗って攻撃に移るときは、手数をかけずにテンポよく回せばどの選手にも出来ることであり、この4人にしか出来ないことではない。現に、中央に人数が揃いすぎているのを察知してか、中村は序盤はサイドに寄りながら、バランスを重視し孤立気味になっていた。
さらに「海外組」というワードが頻繁に使われるようになったのもこの頃から。全員が集まって練習できたのはわずか2日間である。その影響もあってか、4バックの両サイドの服部、名良橋はバランスは取っていたが、センターの秋田、松田の連携は今ひとつ。9分のヘイルズ、15分にはデイリー、23分には再びヘイルズに危ないシュートを打たれるなど、安定感を見せられなかった。
ジーコの「サイドに展開しろ」との指示が出るまで、日本はよもやの停滞も見せる。小野がボールをためるくらいで、全体的には急ぎすぎるフシがあり、ボールをタイミング悪く奪われ場面もしばしば。スターレットが度々日本の右サイドからチャンスを窺っていたが、サイドに「上げろ」という要求をピッチ内で選手の誰からも出なかったということか。
その後、高原、鈴木もサイドに開きながらボール回しも変化し、リズムも良くなっていったが、35分のカウンターからの鈴木(シュートを打つ前にファウルを受ける)、前半ロスタイムの中田英の右クロスからの鈴木のヘッドも得点には繋げられず。ジーコの強い希望で主将を任せられた中田英も、「こんなもんか」という不満ののっかかった表情で、ピッチから引き上げた。

「4バック」を理想とする新指揮官 明白な攻撃偏重シフト               チーム結成当初のジーコの方針として、「体格差のある強豪国を相手にすれば3バックでやるのは不利」として、トルシエジャパンの代名詞であったフラットスリーをバッサリ斬り捨てた。3人を最終ラインに並べて守り、さらに枚数を増やしたミッドフィールドの両アウトサイドが広範囲をカバーするやり方は、確かにディフェンスに重きを置くことの方が多い。攻撃型を理想とするジーコが迷わず4バックでいくことを選択したのは当然だった。お披露目的な意味合いが高かったこの試合の先発の4人のDFの名前は時と共に新顔に変化していくが、服部、名良橋の両サイドバックの出来は悪くはなかった。
特に後半からは、サイド攻撃とセットプレーの意識が強くなり、47分には服部がミドルをクロスバーに直撃させ、51分には右CKの撥ね返りから中村のシュート、52分には鈴木の右クロスから中田英が走り込んでボレーで合わせるなど、追加点のチャンスも作った。中田英とプレーサイドをチェンジした中村は前半とは打って変わり、トップへのボール配球、ロングFKを期待通り狙うなど、徐々に持ち味を出し始める。
しかし次々と選手交代を行い同点を狙いにいくジャマイカを尻目に、日本はフィニッシュが甘く2点目が遠い。それとやはり連携ミスが多く、稲本のパス失敗を秋田がファウルでカバーしたり、ハイボール処理に秋田、名良橋が手こずり、前半から危険だと感じているはずのヘイルズにシュートを許すなど精彩を欠いた。高原に代えて柳沢を投入した直後にもピンチは続き、78分には名良橋が中央へ絞って空いたサイドを突かれてスターレットの決定的なシュートを招くと、79分にはそのスターレットの左クロスから途中交代のフラーがヘッド。服部に当たって跳ね返ったところを再び押し込まれついに同点ゴールを献上した。
ベンチワークも悪かった。同点にされてすぐに稲本、小野を下げ、中田浩、福西の両ボランチをそっくりそのまま投入。リ-ドの状況で入れるはずだったのだろうが、交代キャンセルを早急に行わなかったのは後味が悪い。その後攻撃的な選手が送り込まれることはなかった。結局終盤続いたセットプレーも活かせず、ロスタイムにはゴール前で5本のワンタッチパスを鮮やかに繋いだが最後の福西のシュートはバーを越えて行った。初陣は悔しいドローに終わった。
ここから紆余曲折の4年間がスタートしていくことになるが、この時ジーコは「神様」「英雄」であっても、決して「名将」ではないことを認識する眼力は日本サッカー界にはあろうはずもなかった。


 

 





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Last updated  2006.09.24 16:08:33
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