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2月18日(日) 大海へ高速船の出でて行く 花嫁のごとくベールをひいて 駅の広場でにぎやかな歌声が響いてくるので、私もおりていく。 残念ながら行き着いたときは歌が終わっていた。 したがって写真も撮れなかった。 しかしたくさんの人々が、周囲の出店で買ったいろんな食べ物を おいしそうに食べていた。 ああ懐かしきキルタンサスよ。昔、島に住んでいたころ、私はプランターにいくつも この球根を増やして、花をいっぱい咲かせていた。だから近所の人は 豊子花と呼んでくれていた。 古いパソコンでは写真を小さくしなければ入らなかったが、新しいパソコンでは 1回目こそ大きすぎると文字が出たけれど、2日目には、何も操作しないのに、適当な大きさにしてはいってくれた (ありがとう) これはご近所の庭から塀を超えて道がわに顔を出して咲く。 一枝折りたいが、我慢している。 でもこの花のいい香りだけは 遠慮せず鼻からいっぱい吸い込ませてもらう。 沈丁花は故郷の庭にも咲いていたっけなー。育ての母親が とっても好きだった花。私はその母から一度も怒られたことはない。 ないというより、あえて継母はその役を 父に任せていたようだった。父からは仏壇のしたの真っ暗がりに なんの悪いことをしたのか覚えがないが、入れられて、とっても 怖くて泣き叫んだ。 私は机の横にこの母と生みの母の写真を並べて毎朝眺めている。 生みの親の写真には、赤子の私も膝に抱かれている。しかし私は 母のことを何も覚えていない。まだ1歳前後くらいだろう。 生みの母はもう一人弟を生んで、私が3歳の時に亡くなり 小学校に入学する前に新しい母が嫁入りしてきた。 今でもその日のことはよく覚えている。花嫁姿の母を 見に近所のいたずらっ子がやってきたけど、私は見せたくなかった。 意地悪ではない。母を占領したかったのだ。 小学校入学式にはえんじ色の毛糸で首元にボンボンのついたセーター を編んでもらって、すごっく嬉しかった。 ローズコーン お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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