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はんぺん

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2026.01.21
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カテゴリ:学生運動

連合赤軍の話は、タブーでは無い・・・「青2才」たちの(洗脳)の話だ。誰にでもある予断と偏見、思い込み、傲慢・・・の話だ。一度しか無い人生に、謙虚に、真摯に向き合う話だ・・・   2026-1-21  はんぺん


1971
年末から1972年にかけて連合赤軍による山岳ベース事件が起きている。同志に対する大量リンチ殺害事件で、仲間12名が、リンチにより殺された。  これは、同じセクト(組織)内で、起きた(殺し合い)だった。

 一方、「内ゲバ殺人」は、異なるセクト間に起きた(殺し合い)で、1960年代公判から、1980年代にかけて、トロツキスト極左集団の間での(内ゲバ=「無意味な殺し合い」)・・・・で、100人以上の(活動家?)が殺され、4桁に上る学生や労働者が、重軽傷のため、後戻りのできない人生を余儀なくされてしまった・・・・

 こんな(無意味な死)を どうして防げなかったのだろうか? いつも思うのだが・・・

若気の至り? 青2才の跳ね上がり? 「革命ごっこ遊び」の成れの果て?  どれも、間違っていないと思う。

社会人になれない若者たちの(足のつかないごっこ遊び)の結果だった。一度しか無い、貴重な人生を、無残にも自ら破滅に追い込んでしまった事件! (自業自得)とも言えるが、僕は、それを(洗脳)(扇動)したリーダーたち(罪)の事を強く考える・・・・

正義感に燃えた?(青2才)を、地獄の底に追い込んだリーダーたちの無責任の事だ。 赤軍派のトップで、連合赤軍結成時には、獄中に居た高原浩之の無責任な証言を 以前、このブログで紹介したが・・・

赤軍派の最高幹部だった高原浩之は、山岳アジト事件で殴り殺された遠山美枝子の夫でもあったが、山岳アジト事件当時は、獄中にいて、リンチ殺人には関わっていない。

―――――――――――――――――――

遠山の死の3年後に、遠山美枝子から獄中の高原浩之(夫)に宛てた手紙の返信「三年後の返信」を書き綴っている・・・その中の一節・・・・・

「二人で活動をやめるかやめないかという話になったとき、お互いに じゃあやめようと言えないんだよね。そういう政治路線を共有した上で一緒になったんだから、やめると言ったら離婚することになるから、結局どちらからも止めようとは言い出せずに、やろう、やろうとなるんだ。僕自身、首相官邸占拠、塩見(議長)奪還と言いながら、そんなことできるはずがないと思っているんだから。だけど、あとにひけないんだよ」(「私だったかもしれない。ある赤軍派女性兵士の25年」(江刺昭子著)の P191)

―――――――――――――――――――――――――――


京都大学からきた、遠山美枝子の夫で、赤軍派の最高幹部の
高原浩之が、過激な方針を大衆に訴えながら、その本人自身が何と考えていたのか・・・「そんなことできるはずがないと思っているんだから。」とは・・・・

僕が、彼らの無責任さに、絶望を覚えるのは、あまりにも、戯画的すぎる現実だから・・・・

(青2才)が(青2才)をオルグする・・とは、そういう事だった。こういう無責任な連中に踊らされて、多くの若者たちの人生が壊された、命が奪われた・・・

 

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以下、朝日新聞記事・・・

遠山美枝子12月、赤軍派の仲間と一緒に山梨の山岳アジトへ向かい、共同軍事訓練に参加する。二派(赤軍派と革命左派)は合体して、連合赤軍となった。

 訓練時に永田は、美枝子がしていた金の指輪を結婚指輪と勘違いし、「革命戦士として自覚にかける」などと批判した。美枝子が指輪をすぐに外さなかったため、「総括」と称した集団リンチをエスカレートさせていく。リンチのきっかけとなった金の指輪は、母の幸子が贈ったものだ。

(中略)

革命左派のメンバーで、そのリンチ現場に居た岩田平治は、当時20歳だった。「遠山さんの指輪に象徴される『女らしさ』を自分たちの中からたたき出さないとダメ。女である前に革命戦士だ、というのが永田洋子らの主張でした」と岩田は言う。

組織、企業、教団などの集団が共有する「共同幻想」を突き詰めた結果、
恋人、家族など個人的な弱さはすべて切り捨てろ、と「総括」と称した集団リンチが止まらなくなった。

・・・・遠山美枝子が死亡した7217日の翌朝、岩田は、永田らの命令で名古屋へ向かった。「もうついていけない」とそのまま脱走。出頭して逮捕された。

岩田平治は、翌年の79日、獄中から幸子へ長い謝罪の手紙を書いた。

 〈本当にあの時、どうして「もうこんなことはやめよう」と言わなかったのだろうと後悔しています。何とおわびしてよいやらわかりません〉

 今回の取材で50年ぶりに、この幸子への手紙を読んだ岩田は、「今思うととんでもないことだが、当時は革命を起こすと信じていた。私が脱走した後も、妊婦だった仲間まで殺したと知り、本当に落胆した」と語る。

 一方、遠山美枝子の母、幸子は手紙にこうつづっていた。〈革命と叫びながら何ができたのです。14人を殺しただけ(略)。もっと世の中を広くみて人の愛、情を理解する素直な人間になることです〉

以上・・・朝日記事






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最終更新日  2026.01.22 00:07:51
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