カテゴリ:北朝鮮
【秘録金正日(62)】 530億円秘密送金、南北首脳会談の舞台裏…“ショー”に惑わされ、独裁者をべた褒めした韓国大統領 2016-2-9 産経新聞
現代(ヒョンデ)グループ名誉会長、鄭周永(チョン・ジュヨン)が金正日(キム・ジョンイル)に面会した後、韓国では、北朝鮮の新指導者の人物像を見直すべきだとの空気が広がる。 韓国政府は「指導者としての識見はもちろん、合理性と(政策)推進力を備えた緻密な人物」だとの評定を導き出す。「かなり前から指導者としての経験を積んだ結果だ」とも発した。 大量の餓死者を出し、国を荒廃させた指導者に対する評価としては「甘すぎる」との批判もあった。しかし、初の南北首脳会談開催は、金大中(デジュン)政権にとって既定路線だったのだ。 韓国政府機の「着陸を拒否」 首脳会談の立役者として知られる当時の韓国文化観光部(省)長官、朴智元(パク・チウォン)によると、準備交渉は最初から難航を極めた。 北朝鮮側代表の朝鮮アジア太平洋平和委副委員長の宋浩景(ソン・ホギョン)は、4回に及ぶ交渉で現金支援を要求し、「金(大中)大統領が偉大な将軍さまに会うのは『相逢』(顔見せ)だけにし、会談は憲法上、国家元首の金永南(ヨンナム)(最高人民会議常任委員長)にしたい」と主張した。「偉大な将軍さまの日程を事前には決められない」「共同宣言文は、事前につくるものではない」とも譲らなかった。 「将軍さま」だけを見た宋のかたくなな態度にスケジュールも詰め切れないまま、大統領の平壌訪問決定にはどうにかこぎ着けた。 しかし、当時の韓国情報機関、国家情報院次長の金銀星(ウンソン)は、出発を予定していた2000年6月12日の「2日前に北から『約束のカネを送らなければ、首脳会談はない』との電文が来た」と証言する。現代グループを介し、会談に先立ってマカオにある金正日の秘密口座に4回に分けて送る手はずだった4億5千万ドル(約530億円)の一部が記載ミスで期日に入金されなかったからだ。 大統領府は「北の技術的問題で訪朝を1日延期する」と発表して取り繕った。12日には、マカオの北朝鮮商社から本国に向けた《4つのうち、最後の1つを受け取った》との通信を傍受する。 金大中が平壌にたとうとした13日にも思いもよらない通告が北朝鮮からもたらされる。金日成(イルソン)の遺体を安置した錦繍山(クムスサン)記念宮殿に「金大統領が参拝しないなら、首脳会談はできないし、来る必要もない」。 韓国政府専用機の「着陸を拒否する」とも通告してきたが、金大中は出発を決める。そこに事前に北朝鮮入りし、正日とも面会してきた国情院院長の林東源(イム・ドンウォン)が駆けつけ、「参拝問題は平壌に来て話し合ってもよい」との正日の意向を耳打ちした。 「金大中が白旗掲げ、投降しに来た」 金大中一行は午前10時半前、平壌の順安(スナン)空港に降り立つ。大統領を出迎えたのは、金正日自身だった。歓迎式典の後、1台の車に両首脳が乗り込み、百花園(ペククァウォン)招待所(迎賓館)に向かった。沿道には、50万人を超える住民が花束を振りながら「決死擁衛」「万歳」と声を張り上げた。 金大中は2人きりだった約1時間の車中の会話について自叙伝にこう記す。 「実際、多くを語ることはできなかった。私たちは手を握りしめたりもした。金(国防)委員長は『(出迎えの)人民は皆、自発的に出てきた』と話した」 現実は違った。歓迎行事に動員された元地方幹部は、韓国メディアにこう証言した。「金大統領が現れた瞬間、宣伝扇動員は拡声器を手に叫びました。『金大中が白旗を掲げ、将軍さまに投降しに来た』と」 招待所に着いた正日は饒舌(じょうぜつ)だった。 金大中「出迎えにきてくださり、われわれが握手するのを見て、ソウルでは千余人の記者が立ち上がって拍手したそうです」 正日「出迎え? 基本的な礼儀でしょう。私が大した存在でもあるまいし…。恐れることなく、よくいらしてくれました」 30分後、こう言って翌日の再会も約束した。「もし幹部らが来るのに反対すれば、(石を撃つ)パチンコで赤信号を打ち壊してでも来て会談します」 「金大中が白旗掲げ、投降しに来た」 金大中一行は午前10時半前、平壌の順安(スナン)空港に降り立つ。大統領を出迎えたのは、金正日自身だった。歓迎式典の後、1台の車に両首脳が乗り込み、百花園(ペククァウォン)招待所(迎賓館)に向かった。沿道には、50万人を超える住民が花束を振りながら「決死擁衛」「万歳」と声を張り上げた。 金大中は2人きりだった約1時間の車中の会話について自叙伝にこう記す。 「実際、多くを語ることはできなかった。私たちは手を握りしめたりもした。金(国防)委員長は『(出迎えの)人民は皆、自発的に出てきた』と話した」 現実は違った。歓迎行事に動員された元地方幹部は、韓国メディアにこう証言した。「金大統領が現れた瞬間、宣伝扇動員は拡声器を手に叫びました。『金大中が白旗を掲げ、将軍さまに投降しに来た』と」 招待所に着いた正日は饒舌(じょうぜつ)だった。 金大中「出迎えにきてくださり、われわれが握手するのを見て、ソウルでは千余人の記者が立ち上がって拍手したそうです」 正日「出迎え? 基本的な礼儀でしょう。私が大した存在でもあるまいし…。恐れることなく、よくいらしてくれました」 30分後、こう言って翌日の再会も約束した。「もし幹部らが来るのに反対すれば、(石を撃つ)パチンコで赤信号を打ち壊してでも来て会談します」 だが、この突拍子もない要求も「将軍さまの配慮で解決」したとして霧散する。15日には、両首脳が、統一の自主的解決や南北離散家族の再会、経済協力などをうたった南北共同宣言に署名する。祝賀会場で、金正日が林東源をテーブルに呼んでささやいた。 「錦繍山宮殿には行かなくてもいいでしょう」。本人の口からわざわざ“配慮”を伝えたのだ。 無理難題を突きつけ、さんざんじらした揚げ句、特別な配慮だと恩着せがましく引っ込める。親しみやすさを見せたかと思うと、強い態度に出る。硬軟織り交ぜ、韓国側を翻弄し続けた会談は、“正日流のショー”ともいえた。観客は、首脳会談報道後に正日への好感が一気に広がった韓国国民であり、大統領自身だった。 金大中は帰国後、著名人との昼食会で、正日について次のように語った。「対話ができ、常識が通じる人でした。北の指導者の中で外の世界を一番よく知っており、最も改革をしようとする人物に違いありません」。米大統領のビル・クリントンにも電話で「ミサイル問題も解決しそうだ」と伝えた。 南北首脳会談の功績からノーベル平和賞にも輝く。だが、北朝鮮がその後、核・ミサイル開発に突き進んでいった経緯を見ても、正日体制延命のためのショーに惑わされた“お客さま”にすぎなかったことを物語っている。=敬称略 (龍谷大教授 李相哲) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016.03.01 15:37:15
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