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2016.03.08
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カテゴリ:北朝鮮
北朝鮮の元伐採工、ロシアで逃亡8年 韓国で日雇い生活  ソウル支局長・牧野愛博 2015年10月14日  朝日新聞
■脱北者の証言・番外編

 3年ぶりの再会だった。ロシア極東・タイシェトで2012年に面会して取材した北朝鮮の元伐採工(52)が7日、朝日新聞ソウル支局に記者を訪ねてきてくれた。取材当時、国家が管理する出稼ぎの現場から逃亡し、身を潜めていた。韓国にたどり着いたのは13年8月。1995年に北朝鮮を出国して以来、実に約18年の歳月が流れていた。彼のその後の苦労を聞いた。

 北朝鮮で「苦難の行軍」と呼ばれた大規模な食糧危機が広がりつつあった95年、元軍人の彼は、食べていくためにロシアでの伐採工の出稼ぎに応募した。アムール州ティグダなどで1日14時間、カラマツなどを伐採する作業に従事。月給の最高額は160ドルだったが、紙の証文を受け取るだけで、現金はほとんどもらえなかった。

 2005年に伐採現場から逃亡。シベリアで知り合った元伐採工6人と約1800キロ離れたタイシェトの同じ地域に住んだ。記者が面会した12年6月には、すでに仲間のうち2人が死亡していた。13年1月、さらに1人が腎臓破裂で死亡。何とか共同墓地に埋葬したが、逃亡生活を支える資金が底をついた。

 「助けてやる」と近づいてきた韓国の牧師がいた。牧師は「資金作りのため、ドキュメンタリーを作ろう」と持ちかけてきた。北朝鮮に残してきた家族の身を案じた仲間たちが猛反対し、話は流れた。資金を提供してくれた韓国人もいたが、牧師が一部をピンハネしていた。

 ログイン前の続き最後に頼ったのが、国連難民高等弁務官事務所だった。13年3月、同事務所の手配で仲間3人とともにタイシェトを離れた。鉄路でモスクワの西方約400キロに位置する難民の待機施設に移動した。5カ月待った後、独フランクフルト経由で同年8月、韓国の土を踏んだ。

 彼は「ロシアで18年暮らした後だったから、故郷に戻ってきた気分だった」と語る。韓国の情報機関、国家情報院から3カ月間、調査を受けた。その後、韓国政府の脱北者の定着支援施設「ハナ院」で3カ月暮らし、14年冬に韓国東部の江原道束草(カンウォンドソクチョ)のアパートに移り住んだ。「ロシア暮らしが長く、冷涼な気候でないと暮らせない体になったから」だという。

 約18年の歳月は、彼が故郷に残してきた家族の人生も大きく変えていた。

 昨年、彼はブローカーに金を払い、北朝鮮北東部の咸鏡南道(ハムギョンナムド)に残してきた長男に電話をかけた。別れた時、5歳だった長男は24歳になっていた。受話器から漏れてきた話は悲しいものだった。残してきた父親と妻はすでに死亡していた。長男は妻の入院先で働いていた看護師と結婚したが、結婚式を挙げる金もなく、暮らしていた。

 彼は「俺も身一つで韓国に来てしまった。おまえに何もしてやれなくて」と話すだけだった。長男は「お父さんが見つかっただけで、ほかに何もいらない」と答えたという。

 彼は「息子を韓国に連れてきたいが、金もない。国境警備も厳重になった」と嘆く。金正恩(キムジョンウン)体制は中朝国境地帯に鉄条網を張り巡らした。国境を流れる川で洗濯をする住民は、警備兵に身分証を預けなければならないという。

 彼は今年8月、中国を訪れ、韓国への入国を希望している脱北者と面会した。脱北者は金正恩体制になって「未来が見えない」と訴えたという。息苦しい生活、物資も足らず、中国との商売も取り締まりが厳しくてままならない。

 彼自身も韓国での安定した生活を望んでいるが、定職が見つからない。韓国で出会った同じ脱北者の女性と身を寄せ合うように暮らし、日雇い生活で糊口(ここう)をしのぐ毎日が続いているという。

(朝日新聞ソウル支局長・牧野愛博)





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最終更新日  2016.03.08 12:02:02
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