カテゴリ:反戦平和
日本の食糧略奪でベトナム200万人餓死 2015-02-27 丹波マンガンのブログ
近年、ベトナムの成長が著しいので民族服のアオザイ等をリポーターが着てテレビ番組に紹介するがベトナムへの日本軍の加害歴史を紹介したい。
1994年8月30日の京都新聞に「ベトナムの悲劇」解明へと題して次のような記事が掲載された。
[ハノイ29日共同]第二次大戦末期、旧日本軍の強制的な食料調達で二百万人が餓死したとされるベトナムで、同国政府による初の実態調査によって「今世紀最大の悲劇」(ベトナム側の記録)の実態が明らかになりつつある。
調査は労働・傷痍軍人・社会事業省と政府研究機関の「史学院」が中心となり、最も被害が厳しかった北部七地区で1992年から進められ、この内2地区で調査結果がこのほどまとまった。生存者の聞き取り調査や当時の日記、メモなどを詳しく調べた結果、北部の農村のかなりの地域で第二次大戦後の抗仏戦争からベトナム戦争終結に至るまでの犠牲者に比べて日本軍の食料調達による餓死者の方が多かったことが分かった。
これまでベトナムでは日本軍支配下の被害の調査は行なわれておらず、「仏印進駐」の実態調査の上で貴重な資料となりそうだ。
調査によると、北部のタイビン省タイルオン地区では旧日本軍が全土をほぼ完全に支配した44年末から45年初めにかけて、食料の強制調達と折からの凶作で全住民の三分の二に相当する3968人が飢え死にした。
同省ベトトアン地区でも全住民の40%に当たる2028人が餓死。省によっては三分の一が餓死したとされる「悲劇」を裏付けた。
グアン省などに残る五地区でも現在、調査がすすんでいる。
ベトナム側は「この調査だけでは二百万人という数字を証明するのに十分ではない」としながらも「日本軍がコメなどを強制調達し、稲作から黄麻への転作を強制したことが食料不足に拍車を掛け、大量餓死者の主な原因となった事は間違いない」としている。
日本軍の食料調達による餓死者は二十万、三十万、百万、二百万人などの諸説があるが、ベトナム政府はこれまで「二百万人」を主帳してきた。
当時、住民台帳などは整備されていなかったが、政府の調査に応じた住民の調査などによると、特に北部の農村部では第二次大戦後の抗仏戦争とベトナム戦争の犠牲者を上回る餓死者が出た地域が多いという。
過去の事実復元重要
吉田元夫・東大助教授(ベトナム現代史)の話
食料調達による餓死者に関しては、日本とフランスの二重統治下の混乱で、人口統計などの十分な記録がのこっていない。現時点で「二百万人」という数字の正当性を論争してもあまり意味がない。
何人も否定できない過去の事実を復元することが重要だ。その意味では当時の記憶が風化し承認が減りつつある今、仏印進駐の実態を解明する上でも極めて意義のある調査だ。以上が記事全文です。
1994年に調査する事が重要だとしているが、これ以降、ベトナム政府の調査に日本が協力した事実はない。
日本のマスコミは決して報道しないが全長400Km以上も地下トンネルを掘って戦った「クチ・トンネル」は有名だ。
高さ60cm×幅30cmの人間がやっと入れる穴をベトナム全土に縦横無人に掘りアメリカ軍の後方で地上に出て後ろから攻撃するので前線も後方もないのである。
たまに大きい穴があってアメリカ人が入るとトラップ(罠)になっていたりする。
密林の中にあるクチ・トンネルは発見しにくいので密林を人間も一緒に焼きはらってしまおうと数百mをガソリンで焼く「ナパーム爆弾」をつかったが効果が薄いので今度は枯らしてしまおうとアメリカは枯葉剤を大量に散布したのである。 ベトナムのホーチミン市には戦争博物館があり体の体がくっついたべトちゃん、ドクちゃん以上の人の写真が数百人展示されている。 アメリカの投下したダイオキシンの入った枯葉剤で奇形の人間が多く生まれた。
しかし、ベトナムはアメリカに戦争で勝利している。 アメリカ相手に勝てるのだろうかと思っていたがアメリカの傀儡政権のグェン・バン・チュー政権はクーデターが起こり官邸に押し寄せる国民を機関銃で撃ち国民から搾り取った蓄財の金塊を官邸屋上から40トンもヘリコプターで吊って逃げようとしたが上昇できずロープを切ってアメリカに亡命した事はあまりにも有名である。
その時に政府側についた者が難民になって日本に流れ着いたが日本は難民条約に批准(加盟)していなかったのでアメリカの命令で批准して難民を受け入れたが地位がないので時限立法(一定期間)で特別に永住権を与えたのが特別永住権ですが、その時に在日韓国・朝鮮人も特別永住権を習得したのである。
在特会の特権と主張する特別永住権はこのような経過で誕生した。
ベトナム人だけに永住権を許可する訳にいかず、この時には外国人の全てに特別永住権が許可されたのであって決して在日韓国・朝鮮人に親切にする為に創ったのではありません。
しかし日本は60~75の15年も血を流さず金儲けが出来たのだから難民を受け入れても当然という議論もある。
ベトナム戦争が起きなかったら日本の経済成長はなかったというのが世界のコンセンサスです。
第二次大戦で日本に投下された爆弾の十倍の量が朝鮮に投下されたといわれているが、さらにその十倍、つまり日本の百倍の爆弾がアメリカによってベトナムに投下されたが、それ以上の餓死者が日本の食糧略奪によって出たのである。
アジア全土の嫌われ者の日本の被害が確認されている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016.06.03 21:18:59
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