カテゴリ:北朝鮮
母は身代わりにレイプされた 22歳の脱北女性が手記 2016年3月25日 朝日新聞 13歳で脱北し、中国での想像を絶する体験を語り、人権活動家となったパク・ヨンミさんが、注目を集めています。自伝的な手記「生きるための選択(原題:IN ORDER TO LIVE)」は米国をはじめ世界20カ国で出版されました。
パク・ヨンミさんは1993年10月、北朝鮮北部の恵山(ヘサン)生まれです。幼い頃は比較的裕福な暮らしをしていましたが、9歳の時、父親が禁じられた金属の横流しをしたかどで逮捕され、生活が一転。13歳のとき、母親とともに鴨緑江を渡って中国に脱出しました。その後の中国での長い潜伏生活と、ゴビ砂漠を抜けてモンゴルに到達、韓国にたどり着いて懸命に勉強し大学に進むまでの半生を自伝「生きるための選択」にまとめ、日本語版の「生きるための選択」(辰巳出版)の出版にあわせて来日もしました。パク・ヨンミさんに自身の半生や北朝鮮の人権について聞いたインタビューをお伝えします。
――本を執筆するきっかけは何だったでしょうか。
2014年10月、アイルランドのダブリンで開かれた国際会議「ワン・ヤング・ワールド・サミット」で、自分の体験を大勢の人の前で話したことがきっかけです。私はアフリカに何カ国があるか知らず、イスラム教徒にも会ったことがなかったのですが、世界各地から集まった人たちが国や宗教の違いを超え、北朝鮮の実情に関心を持ってくれました。それまで人間に対する不信がありましたが、信用していいんだ、という気持ちになりました。ダブリンのスピーチから1カ月もしないうちに、出版社から声をかけられたこともあり、手記を書き始めました。
――幼い頃の経験も詳しく書かれていますね。
幼い頃のことや、恐怖からトラウマになって記憶が切れているところは、母が協力してくれました。ある意味では、この本の何割かは母の思い出話です。ゴビ砂漠を一緒に歩いてモンゴルに逃れた脱北者や、故郷の同級生で脱北した友人も協力してくれました。忘れていたこともずいぶんあったので、彼女たちが協力してくれなかったら、ここまで書けなかった。私一人のものではなく、みんなの努力の産物です。
■「母は勇気を持っている人」
――北朝鮮を脱出した後、中国ではブローカーに人身売買された経験も書いています。母が自分の身代わりになってレイプされるなどの衝撃的な内容もつづっていますね。
今でも13歳まで暮らした北朝鮮や、中国での2年間の潜伏生活が夢に出てくることがあります。何かから逃れようと泣きながら走り、でも、決してゴールにたどり着かないといった夢です。正直言って、今も当時のことを思い出すのは怖いです。しかし、ダブリンのスピーチをきっかけに人権活動家としての意識が強くなり、隠してきた秘密を明かすことを決心しました。プライバシーだから、と隠すのではなく、真実をさらさないといけない。もう嫌だ、これ以上書けない、と行き詰まったときは、母に「声を持たない人のために誰が語ることができるの。あなたしかいないでしょ」と励まされました。今考えても、こういう機会をいただいてよかったと思います。母は勇気を持っている人です。
――過酷な体験の連続だった半生で、誰かを恨む気持ちはありますか。
人間なので恨み、憎しみの気持ちはあります。北朝鮮の人々は、生まれた時点でアンフェアです。川(中朝国境の鴨緑江)一つ隔てただけで、それ以外の世界に生きる人々と人生がまるで違う。間違った場所に生まれた、ばかなという気持ちが私にもありました。でも、時間はかかりましたが、いまはすべてを受け入れようとしています。人生はアンフェアだけど、その人生を抱きしめて歩むしかないと。北朝鮮で生まれたこと、北朝鮮から脱出したこと、その両方があって、今の私があります。もし平穏な人生と交換できるとしても、交換しようと思わなくなりました。
ログイン前の続き■「人身売買の実態、関心持って」
――本の中で、特に衝撃的なのは中国で北朝鮮の女性が人身売買され、性的搾取をされている実態です。
本でも書きましたが、中国では脱北者の女性、特に少女の多くが人身売買ブローカーの手に落ち、さまざまな被害に遭っています。200ドルくらいで売られることもあります。母も売られました。人間として扱われていません。そうしたことを国際社会が知ろうとしないことが、私としては信じられません。
中国は政策的に、脱北者をつかまえて北朝鮮に送還していると思います。脱北者は「違法越境者」として扱われ、隠れて隠れて暮らしています。そういう実態ゆえに、弱みにつけこんで利用する人も出てきます。性搾取も起きます。国際社会はもっと関心を持ち、一緒に戦ってほしい。
――パクさん自身、ブローカーたちに翻弄(ほんろう)され、傷つけられました。
私は中国人を敬愛していますし、好きです。実際よく働くし、自分のため、自分の子どものために地道な努力を続けているのが多くの中国人です。悪質なブローカーを生み出しているのは、政府の政策の誤りだと思います。ブローカーもまた、国の無策で教育を受ける機会がなく、人間として生きる権利を奪われてきた人たちです。この話は白黒で決着をつけられる単純な問題ではないのです。
■「私には二つ誕生日がある」
――「生きるための選択」というタイトルは自分で考えたのですか。
最初は「わすれな草」というタイトルにしようと考えました。北朝鮮では、今も多くの人が、名前も知られないまま、この世に存在したことも知られないまま死んでいきます。飢餓や災害が原因とされますが、独裁者によって殺された殺人の犠牲者だと思います。幸いにも私は生き延びることができました。だからこそ、亡くなった名もなき人々を忘れないでというタイトルにしたかった。一方で、私は自分が自由になるために、時に冷酷な選択をし、犠牲を払ってきました。選択をした責任を、私は背負っていると思います。自分のすべてを告白し、人権活動家として歩んだのも、その責任を果たしたいと思うからです。いまは現在のタイトルにしてよかったと思います。
――気持ちの変化に一番影響を与えたのは何だったでしょうか。
自分だけを犠牲者だと考えなくなったことでしょうか。北朝鮮や中国にいたときは、自分の安全や生存だけを考え、ものごとを深く考える余裕はありませんでした。ゴビ砂漠を越えてモンゴルにたどり着き、韓国の安全な場所で暮らせるようになって、新しい人間になれたと思います。私には、自分が本当に生まれた日と、自分が自由を手に入れた日の二つ誕生日があります。
――今年1月、北朝鮮政府はパクさんを「人権プロパガンダの操り人形」と批判しました。恐怖感はありましたか。
金正恩(キム・ジョンウン)が私のことを怒っているのでしょうか。もし、そうなら誇りです。彼は私のことを大嫌いだと思いますが、人類最大の敵である独裁者を怒らせることができたから。私があのまま北朝鮮で死んでいたら、彼が私のことを知るよしもなかったはずです。彼が私にどんな対応をしようとしても、私は口を閉ざすつもりはありません。私が一番望んでいるのは、北朝鮮の人々が自由になることです。彼らにはその権利があると訴え続けます。これは冗談ですが、もし韓国語版ができたら、風船にくっつけて北朝鮮の上に落としたい。
■「故郷の人とラーメンやピザ食べたい」
――日本を含む国際社会の北朝鮮への対応をどう思いますか。北朝鮮の現体制を壊さずに、内部から変わることを期待していますが、展望が見えません。
私は政治家ではないので、コメントは難しいですが、人間としての視点から言うと、なぜ人を人と思わない独裁者を通して「変化」を起こそうという気持ちになるのかわかりません。(北朝鮮の建国からもうすぐ)70年というのは決して短くありません。十分時間があったのに、国際社会は何をしていたのかと思います。
――いまニューヨークで暮らしていますが、最終的に住みたい場所は?
北朝鮮に帰りたいです。もちろん、金ファミリーがいなくなって、自由がある北朝鮮にですが。亡き父との思い出も、友人との思い出も故郷の恵山にあります。絶対に帰ります。もし、北朝鮮に自由がもたらされたら、私は故郷の人たちと一緒にラーメンやピザを食べたり、映画を見たりしたい。彼らはそれをする権利があります。教育分野でも、できることをしたい。私は、何も知らなかったときは、すごい恐怖を持っていました。知識がないことによって、何をどうやって考えればいいのかわからない。自分の未来を想像できなかった。若い人たちに教育を与え、未来を見せてあげたい。それが自分の夢です。
――日本を訪れた感想を。
本当に日本人と私たちは顔が似ていますよね。文化的に似ているところもあると思います。いま日本にとって北朝鮮が脅威になっているのは残念です。日本に来て夜景の美しさに感動しました。どうやって、敗戦の焼け野原からこれだけの建物を作り上げたのかと驚きました。日本人は勇気があり、知性があり、美しい人たちだと思っています。だからこそ、隣国で行われている不正義に対して、ぜひ一緒に立ち向かってほしいです。
それから日本に来て初めて、日本にも脱北者が約200人いると知りました。今後日本に来たときは、ぜひ彼らと会い、一緒に話したいです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.02.26 22:05:54
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