カテゴリ:反戦平和
「私は日本がもう一度戦争を引き起こす、あるいは戦争に巻き込まれるのではないかという危機感を感じています。なぜ平和を愛したこの国が、再び危うい方向に向かおうとしているのか。それを考えた時に、私たちの世代が抽象的な言葉、たとえば「戦争はつらかった」「苦しかった」というような言葉でしか、戦争を語ってこなかったからではないかと思ったのです。」(澤地久枝)は、決定的に、不十分な総括だと思う。
いまだに、8月が来ると、日本のマスコミは、テレビも新聞も、「戦争に巻き込まれる恐怖」ばかりを強調する。「私たちは戦争を許さない」という本が出版されている。「平和を守れ」という投書に溢れる。 ・・・どうして、「戦争一般」ばかりを問題にして、それで終われり・・・となるのだろうか? そう・・・ぼくは、マススコミ報道の無責任さについて、言っているのだ。
「戦争一般」だけを問題にするだけでは、真の解決には、決定的に不十分だ。 なぜなら、よほどの変人でもない限り、「戦争反対」は、当たり前のことだから・・・ しかし、戦後70年以上経た今でも、地球上に戦火の絶えることが無かったことは、示唆的だ。 「戦争を繰り返さない」「平和の大切さを語り継ぐ」「世界に平和を訴える」のは、とても大切なことだと思うし、8月と言わずに、365日、考え続ける姿勢は大事だと思う。
同時に、(平和は、待っていても天から降ってくるものでもない)、(希望すれば、簡単に得られるものでもない)ことの認識も、それに劣らず重要だと思う。 昔、「平和は闘い取るべきもの」と、よく言われたが、それは間違っていないが、単に、集会やデモをして、「戦争反対!」「平和を勝ち取るぞ!」と叫ぶだけでは、決定的に不十分だ。
地球上に戦火の絶えることが無かったこと、すなわち、長年、局地的戦争が、人々の希望に反して、繰り返されたことに、どう対応するのかも、考えてこそ責任ある発信というものではないか?
(日本だけ平和であればよい、他国のことは、どうでもよい)という人もいるかもしれないが、東アジアという地理的状況は、そういう考え方を許さないだろう。 結局、「戦争でない、平和的な話し合い解決を可能にする」現実的な方法を、この核の時代の中にあって、見つけ出すしかない。
現在、東アジアの不安定要因(=他国を威嚇したり、覇権を求めたり)は、言うまでもなく、北朝鮮と中国だ。 両国を前にして、日本のマスコミが、「平和!」「平和!」と叫ぶだけでは、事態の改善には、少しもプラスにならないだろう。
「平和的話し合い」を実現するために、何ができるのか? 何をするべきなのか? どのマスコミも、オピニオンリーダーとしての責任を放棄している。それは、各紙の社説を読んでみれば、すぐにわかることだ。
僕が思うに、北朝鮮を話し合いの土俵に乗せるためには、核やミサイル実験資金の枯渇を狙った強力な経済制裁しかない!! 中国やロシアも含めた、国際的連携の下、強力な「経済制裁」に取り組むべきだ。よく、「制裁の抜け道」が指摘されているが、全力を挙げて封じ込めるしかないだろう。
これは、1991年のソ連の崩壊過程で、ソ連経済の行き詰まりが、上部構造を直撃したという歴史的経験を踏まえた、唯一の効果的(平和的)手法であると思われる。(ぼくは、アメリカを先頭とした資本主義が勝利したとは、まったく思っていない。) それと、「経済制裁」に批判的な日本のリベラルたちが、「それは、東アジアの緊張を高める・・・」というのだ。ぼくは、まったく理解できない。 平和的解決を実現するために他にどういう方法があるのだろうか? 彼らは「話し合いを・・・」「国連で・・・」というばかりで、これは、世界で通用しない無責任なものだ。
中国に対しては、どうか? 14億の人口を抱えるこの大国をソフトランデイングさせるべく、最大の努力をしなければ、人類の未来は暗いと思われる。 民主主義と人権という、人類のかち得た共通の価値観を共有する以外に、地球の未来は無いと思っている。 中国の覇権主義は、内部矛盾に満ちており、市場経済と一党独裁の矛盾が、いつまでも長続きするとは思えない。
ただ、今後も、長期にわたり、東アジア・南アジア全域、いや、インド洋も含めた地球規模での覇権主義が予想される中で、平和的話し合いによる説得を継続していくしかないだろう。その中で、日本の自衛隊や安保同盟は、不可欠のものとなる。 そう、「話し合い」は、力と力を背景にしてはじめて、対等のモノとなる。日本単独ではなく、中国を取り巻く周辺諸国やアンザス、インド、欧米との連携は、 中国覇権主義との対等な話し合いを可能にするだろう。 その過程で、経済体制と一党独裁の軋轢の中から、中国自らが、共通の価値観を自身のモノとする上部構造の「変革」が期待できるだろう。
平和的解決を実現するために他にどういう方法があるのだろうか? 誰か教えてほしい。繰り返すが、世界が14億の中国を取り込まなくては・・・反対に取り込まれたら、未来はないのだ。
皆さんは、どう思われるか? (はんぺん) ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― ソ連将校のレイプ、満州での飢餓、澤地久枝「すべてを話しましょう」 2015-8-11 現代ビジネス編集部
戦争は、私が少女であることを許さなかった・・・幼いころから戦争が終わるまで、私は満州にいました。そのころ常に考えていたのは、「もっと戦争のために、自分ができることはないのか」ということ。〈欲しがりません勝つまでは〉をたたきこまれた軍国少女は、「どんなにひもじくても、食事のときは子供茶碗一膳しか食べない」という決まりを自発的に守っていました。
そのうえに配給制がはじまり、子どもたちはどんどん栄養不足になる。弟は脳脊髄膜炎になり、私も妹も猩紅熱(しょうこうねつ)にかかり、生死の境をさまよいました。全身の皮膚がずるむけになってね。痛くって痛くって……。
栄養失調で死ぬ人を何人も見ましたね。特に、満州から日本に引き揚げるまでの難民生活の中では、いくつ子どもの死体を見たか、わかりません。お墓をつくる余裕もないから、枯れ木みたいになった死体を裏山の穴に捨てるのです。
そんな環境で生きるなかで、私の生理は止まりました。戦争は、一人の少女が少女であることさえ許さなかったのです。
1930年生まれ、『妻たちの二・二六事件』『昭和史のおんな』などの著書のあるノンフィクション作家の澤地久枝氏(84歳)が、満州での戦中体験をつづった『14歳〈フォーティーン〉満州開拓村からの帰還』(集英社新書)を上梓した。困窮を極めた戦中の生活について、そしてソ連兵に犯されそうになったことをはじめとする壮絶な体験がつづられている。
私は14歳の時に敗戦を迎えましたが、それまでは一点の疑いもなく日本の勝利を信じていた「軍国少女」でした。そのことが恥ずかしくて、いままでずっと戦争中の体験は隠して生きてきました。 いま、そのことを強く悔やんでいます。
私は日本がもう一度戦争を引き起こす、あるいは戦争に巻き込まれるのではないかという危機感を感じています。なぜ平和を愛したこの国が、再び危うい方向に向かおうとしているのか。それを考えた時に、私たちの世代が抽象的な言葉、たとえば「戦争はつらかった」「苦しかった」というような言葉でしか、戦争を語ってこなかったからではないかと思ったのです。
抽象的な言葉では、もう若い世代には伝わらない。だから、私たちはなるべく具体的に細やかに、戦争体験を語っていかなければならないのです。たとえそれが、つらい記憶を掘り起こす苦しい作業であっても――。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017.08.26 00:00:32
コメント(0) | コメントを書く
[反戦平和] カテゴリの最新記事
|
|