カテゴリ:慰安婦問題
このウイキペディアの資料を読み込みながら、ため息ばかりが出てくる。 あまりにも、お粗末だから・・・・・
そもそも社会的影響の大きい新聞と言うのは、裏付けの無い記事などが、あってはならない・・・と、誰でも考える。その信頼の上で、その記事を読者は、読み込むのだ。
その前提を欠いたことで、多くの読者ををだましたことになり、問題の大きさから、国際問題にまで波及し、日韓関係を大きく損なうことになった・・・・
本当に、取り返しのつかない過ちであり、謝って済む問題ではないが・・・このフェイクニュースに、多くの(善意の慰安婦支援者)が、引っかかってしまい、彼ら、彼女らの人生を誤らせてしまった・・・・
この朝日新聞の18本の記事取り消し報道を見て、多くの(善意の慰安婦支援者)は、今、何を思う?? 再生のためにも、彼ら、彼女らなりに、きちんと総括(けじめ)をつけてほしいと願うばかりだ・・・・・
人類の歴史の中で、戦時における(売買春)や(婦女子暴行)が、(人権問題)として提起され続けるのは、間違いではないし、悲しいことに(アジア太平洋戦争)の後も、世界各地で、この問題が多発してきた。人間の尊厳とは、何か・・・は、我々にとっては、永遠のテーマだ。
今回の問題は、(過ちを改めざる、これを過ちと言う)を地で行ったのが、朝日新聞だったということだ。30年間、過ちは訂正・謝罪されることが無く放置された。その結果、甚大な被害を、わが国(=国民)に与えることになる。
マスコミの読者や国民全体に与える影響は、とてつもなく大きくなっている。その分、マスコミの責任は大きくなっているハズだ。その自覚無しに、真摯な検証抜きの安易な(予断と偏見報道)が、横行したということだ。
「週刊新社会」(新社会党)は、検証抜きの安易な(北朝鮮称賛記事を)報道した。予断と偏見(社会主義幻想)に基づき、ありえない(社会主義幻想)を振りまいて、何の反省も無い。(取り消したという事実は、未だ確認できない)
以前、松井やより氏(元朝日新聞記者・故人)の紹介をしたことがある。彼女は、予断と偏見に基づく、思い込み記事を乱発した。 (参考)慰安婦報道、32年後の記事取り消し 2014-8-31 メールマガジン「小白川通信 18」から https://plaza.rakuten.co.jp/hannpenn/diary/201804060000/
「慰安婦報道に関して思い出すのは、この問題に深くかかわっていた松井やより元編集委員(故人)のことです。彼女は朝日新聞を退社した後、私がジャカルタ支局長をしていた時にインドネシアを訪れ、かつての日本軍政時代のことを取材していきました。来訪した彼女に対して、私は後輩の記者として知り得る限りの情報と資料を提供しようとしたのですが、彼女は私の話にまったく耳を傾けようとしませんでした。ただ、自分の意見と主張を繰り返すだけ。それは新聞記者としての振る舞いではなく、活動家のそれでした。亡くなった人を鞭打つようで心苦しいのですが、「こういう人が朝日新聞の看板記者の一人だったのか」と、私は深いため息をつきました。イデオロギーに囚われて、新聞記者としての職業倫理を踏み外した人たち。そういう人たちが慰安婦問題の虚報と混乱をもたらしたのだ、と私は考えています。」(朝日新聞・長岡昇)・・・ が、全てを言い尽くしているだろう。
我々は、「過ち」を、改めて、噛みしめる必要がある。 同じ過ちを繰り返さないために・・・だ。 人類は、何度も同じ過ち(たとえば戦争、差別)を繰り返してきたのだから。
(わかっているつもり)の、人間が、特に怖い。 (社会主義のことは、わかっている)つもりの人間が、人権否定の北朝鮮を称賛する事実を前にして・・・あえて全体主義の恐ろしさを繰り返して訴える・・・
皆さんは、どう思われるか? 2020-4-23 (はんぺん) 朝日新聞の慰安婦報道問題 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1991年の報道
そして、1991年8月11日に「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」(植村隆韓国特派員・ソウル発)記事で元慰安婦の金学順について「女子挺身隊の名で戦場に連行され」たと報道する。当時東京本社の社会部の取材チームは市川速水記者が率いていた。
同年8月15日韓国ハンギョレ新聞は金が「親に売り飛ばされた」と報道し、また金の裁判での供述との矛盾などもあり、西岡力は、朝日新聞による一連の報道は誤報であると述べている。
しかし朝日新聞による「従軍慰安婦」報道は韓国でも伝えられ、反日感情が高まり、慰安婦問題は日韓の政治問題となっていった。
また、当時韓国では1991年10月7日から1992年2月6日にかけてMBC放送が20億ウォンの予算を投入して製作したドラマ『黎明の瞳』を放映し、最高視聴率58.4%を記録した。物語ではヒロインが従軍慰安婦として日本軍に連行され、日本軍兵士が慰安所を利用したり、朝鮮人兵士を虐待する場面が放映され、反日感情を煽った。原作は金聖鍾の小説で、1975年10月から韓国の日刊スポーツ新聞で連載された。
同年10月10日朝日新聞大阪版でも「慰安婦には人妻が多く、しがみつく子供をひきはがして連行」したと証言した。同年11月22日の北海道新聞で吉田は「アフリカの黒人奴隷狩りと同様の狩り立てをした」と発言した。吉田は韓国やアメリカでも講演を行ない、海外メディアも報道した。
1991年12月6日には、福島瑞穂、高木弁護士らが日本国に慰安婦補償を求めた初の損害賠償請求裁判を提訴した(アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件、2004年最高裁で敗訴)。
これを朝日新聞は当該訴状で「親に売られてキーセン(妓生)になった」と記載されているものを「日本軍が慰安婦を女子挺身隊として強制連行した」と書き変えて報じ、福島らも訴状を「軍に連行された」に変更した。
当時NHK職員だった池田信夫によると、福島や高木らは原告として韓国で金学順を発掘し、福島はNHKにこの話を売り込み、NHKのスタジオでは金に「親に売られてキーセンになり、義父に連れられて日本軍の慰安所に行った」と台詞指導をおこなった。この時点では敗戦で無効になった軍票で支払われた給与の賠償が目的だった。
1992年の報道
宮澤喜一首相の訪韓を前にした1992年1月11日、朝日新聞が一面で「慰安所、軍関与示す資料」「部隊に設置指示 募集含め統制・監督」「政府見解揺らぐ」と報じる。この資料は陸支密大日記の中から吉見義明が「発見」した。
これについて「陸支密大日記の中に慰安婦関係の書類が含まれている事は研究者の間では周知の事実であった」と秦郁彦は書いている。同日朝日新聞夕刊では「韓国メディアが朝日新聞の報道を引用して報道」とのソウル支局電を掲載した。
この資料の中で朝日新聞は従軍慰安婦について「1930年代、中国で日本軍兵士による婦女子暴行事件が多発したため、反日感情を抑えるのと性病を防ぐために慰安所を設けた。元軍人や軍医などの証言によると、開設当初から約8割が朝鮮人女性だったといわれる。太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身(ていしん)隊の名で強制連行した。その人数は8万とも20万ともいわれる。」と解説をしている。
翌1月12日の朝日新聞社説では「歴史から目をそむけまい」として宮澤首相には「前向きの姿勢を望みたい」と主張した。またジャパン・タイムズは1月11日夜のテレビ番組で渡辺美智雄外相が「なんらかの関与があったということは認めざるをえない」との発言を、「日本の政府責任者が戦時中に日本軍が(何十万人)ものアジア人慰安婦への強制売春を初めて認めた」との記事を掲載した。
1月13日、加藤紘一官房長官が「お詫びと反省」の談話を発表1月14日には韓国で、女子挺身隊を誤解歪曲し「国民学校の生徒まで慰安婦にさせた日帝の蛮行」と報道、同1月14日、宮沢首相は「軍の関与を認め、おわびしたい」と述べ、1月16日には天皇の人形が焼かれるなど反日デモが高まる韓国に渡り、首脳会談で8回謝罪し、「真相究明」を約束した。
毎日新聞ソウル支局の下川正晴特派員は「こんな国際的に非礼な記者発表は見たことがない」と述べている。
一連の朝日新聞による慰安婦の強制連行報道については吉田による自らの証言が創作であったとの告白や植村の記事におけるミスの指摘などがなされた後もながらく訂正されることはなかったが、2014年8月にようやく訂正記事を掲載するに至った。しかし、謝罪はなく、社会問題化する中で同年9月、社長出席の記者会見で改めて訂正、謝罪を行った。
朝日新聞が長期間にわたり訂正を行わず、記事を放置した結果、国際社会における「慰安婦強制連行」を既定事実化したと譴責する声もあり、その責任を問う提訴もなされている。
(中略)
朝日新聞による慰安婦報道の取消 (2014)
朝日新聞が慰安婦問題で誤報認める (2014年8月6日) 2014年8月5日、朝日新聞は慰安婦問題に関する「慰安婦問題を考える」・「読者の疑問に答えます」と題した検証記事(16-17面)を掲載した。
吉田証言記事の取消
朝日新聞は吉田の証言を虚偽と認定し記事を撤回した。 朝日新聞によれば、1982年9月2日大阪本社版朝刊社会面の吉田の記事初掲載から確認できただけで16回掲載したとし、1992年4月30日、産経新聞朝刊の秦の吉田証言への疑問との指摘や、1997年3月31日の特集記事のため虚偽との指摘や報道があるとして取材面会を申し込むが吉田から拒否され、吉田は「体験をそのまま書いた」と電話で答えた、その後朝日新聞として吉田のことは取り上げていないとしている。
このほか、2012年11月自民党安倍晋三総裁の日本記者クラブ主催の党首討論会での朝日新聞の誤報による詐欺師のような吉田の本がまるで事実のように伝わり問題が大きくなったとの安倍の指摘までなどを順次経過を追って記述し、「2014年4月から5月にかけて済州島内で70代後半から90代の計約40人から話を聞いたが強制連行したという吉田の記述を裏付ける証言は得られなかったとして『「済州島で連行」証言 裏付け得られず虚偽と判断』とした」。 また「読者のみなさまへ」として「当時、虚偽の証言は見抜けませんでした。」としている。
なお、吉田の長男によれば、妻は日記(西部軍の動員命令を記してあると吉田氏が主張した)をつけていなかったという。また1993年5月に吉見義明中央大教授と会った際「強制連行の日時や場所を変えた場合もある」と述べた。
謝罪会見[編集]
2014年9月11日、朝日新聞社社長・木村伊量や取締役編集担当(いずれも当時)らが過去の記事の訂正に関して謝罪会見を行った。同年5月20日記事の吉田調書に関して作業員が命令に違反して撤退と報じた事は誤報であったと訂正し会見で謝罪した。また同年8月5日慰安婦に関する吉田証言を虚偽と訂正を報じた後、謝罪会見がないと指摘があったが、この会見で付随して謝罪した。 また2日後13日付け社説や1面コラムでも謝罪した。
2014年9月29日、朝日新聞朝刊は、1982年9月2日大阪本社版朝刊社会面の吉田の記事初掲載以降16回掲載され、初回掲載の元記者は吉田の講演を聞き記事にしたとされたが、その元記者の渡航履歴では講演の日には日本に居らず、初回を書いたのは記憶違いで、2回目以降数回書いたと明らかにした。また、別の元記者が吉田の記事を1回だけ書き、初回掲載は自分かもしれないと名乗り出たと、32年前の記事記載元記者に関する訂正を行った。
しんぶん赤旗による取消・謝罪[編集]
2014年9月27日、日本共産党のしんぶん赤旗も朝日新聞の8月5日の特集記事を機会に検証し、1992年から93年に3回「吉田証言」や著書を取り上げたが信憑性がなかった、として取り消し・謝罪記事を掲載した。
また、朝日新聞は記事以外でも吉田証言から謝罪までの間に天声人語で15回、声の欄で朝日新聞の主張に沿ったもののみ480回慰安婦問題を取り上げており、2014年9月13日付けの天声人語、社説でも謝罪している。
2014年12月23日、吉田への取材から「2回ほど朝鮮半島に出かけ、“朝鮮人狩り”に携わった」と報じた記事など追加で2本取り消し、朝日新聞の一連の記事取り消しは計18本となった。
経営的打撃(省略)
朝日新聞による「慰安婦問題」の国際問題化について
朝日新聞による慰安婦強制連行記事は吉田が自著を捏造と認めた後も長らく訂正されることがなく、慰安婦強制連行が国際問題化した要因であると指摘されており、安倍晋三首相も朝日新聞を名指しで批判している。
(後略) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.05.06 01:41:22
コメント(0) | コメントを書く
[慰安婦問題] カテゴリの最新記事
|
|