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2021.10.13
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カテゴリ:学生運動

学生運動時代の思い出を、つらつらと・・・・(反省する勇気)は、今からでも遅くない? 遅すぎる? (3)      2021-10-13  (はんぺん)


中核派の機関誌「前進」、革マル派の機関誌「解放」を見れば、70年闘争の敗北の必然性が、よくわかる。彼ら過激派の「革命ごっこ」は、際立っていた。(今でも発行されているのか?定かではないが・・・)

70年闘争では、民青もDSLも、主役にはなれなかった。

 

華々しく(闘う?)トロッキストたちが、(見た目の)主役だったし、時間の経過とともに、多くの活動家や参加者が愛想をつかして、離れていった。

 

口汚くののしりあう彼らに共通しているのは、どうしようもない稚拙さ・・だ。

小児のように「革命」を叫びながら、中身が無い・・・空疎な(運動?)だった。

 

そらそうだ・・・(未熟な運動)の背景には、未熟な思想しかなく、高校生上がりの青二才の青年たちが、大上段に構えて(世界の変革)を叫ぶには、あまりにも身分不相応であったということだ。

 

意見が異なれば、相手を(敵)すなわち「粉砕」の対象としか見ることができない単純さ・・・「革命」を永遠の彼方に押しやることしかできない彼らが、自滅するのは、目に見えていた・・・ということだ。

 

高校3年の時、反戦高協(中核系)が中心の社研(社会科学研究会)の学習会に参加したことがある。テーマは「実存主義」(岩波)だったが、頭の悪い僕には、さっぱり理解できなかった。

疑問を出しても、イマイチわかりやすい説明が無い。同学年のリーダーは、自分が分かっていないのかもしれないが、わかったような按配で進めていく。

 

新書版とはいえ、哲学的な、難解な本だと思ったが、わかりやすい説明のできない本を選ぶべきでは無かったと思うが、そらそうだ・・・(青二才)が、(青二才)に教えるのは、普通、無理だろう・・・

 

なんとなくわかったような気にさせて終わる・・・今から思えば、これが(洗脳)というモノだった。これで、哲学的裏付けがあると錯覚させられた、マルクス信者が生まれるわけだ・・・・得体の知れない(自信)や(確信)に満ちた(闘士)の誕生だ。

 

大学入学間もない時期、科目選択の時に、加盟したDSLの先輩から「森信成の哲学」を、「小野義彦の経済学」を取る(受講する)ように言われた。森信成氏も、小野義彦氏も、DSLの誕生の際の立役者だったということだが、経済学はともかく、森信成氏の哲学は、さっぱり分からなかった。聴講している教室の学生たちを見ていても、ちんぷんかんぷん(言いすぎか?)の様子が見て取れたものだった。

 

何より問題なのは、この(森哲学)について、DSL活動期に、その(偉大さ)については、一度も上部から説明を受けたことが無かったという事だ。唯々「マルクス主義と自由」(森信成著)を読め、「戦後日本資本主義論」(小野義彦著)を読め・・・と言うばかり・・・

 

たしかに、他党派とのシビアな党派闘争で、バタバタしていたことはあっても、DSLの(聖典?)については、普通、DSLの(同志)には、きちんと説明する時間は取るべきだろうが・・・

 

多くの同志がいた中で、どれだけのメンバーが森哲学を理解していたのか、いなかったのか・・・僕には想像できる・・・

森哲学が、この時代に、どのような先進性があったのか・・・価値があり、社会科学的に高評価を受けていれば、50年以上経た今日、光り輝いているはずなのだから・・・

 

これが、我々(青二才)の時代の現実だった。マルクス、エンゲルス、レーニンだけでなく、チェゲバラや毛沢東思想や主体(チェチェ)思想など、聞きかじりの(青二才)による(各種の運動)が、悲惨な結果に終わるのに、そんな長い時間は必要無かったということだ。

 

追記的に言えば、小野経済学については、当時の(日本資本主義の自立従属論争)の中での(自立論)の立場からの主張だったが、これは、何人かの学者たちも同じように発信していたわけで、「戦後日本資本主義論」のような分厚い本の、ほんのわずかな部分で書かれているにすぎないもので(大半は、データ分析)、当時、日本共産党の(従属論)を批判するという意味でのみ、意義はあったかもしれないが・・・僕にとっては、自身の成長にたいして寄与するモノでは無かった・・・と思う。

 

党派間闘争の中では、活動家たちのアジ演説やビラの内容、あるいは直接の論争の中で、だいたいの理論レベルが、わかるというモノ・・・

活動家と言われるほとんどが、大した勉強(研究?)は、していなかった・・・

 

党派闘争のさなかに、そんな深みのある学習ができるハズも無いのだ。

相手をいかに(殲滅)させるかでピリピリしている現場で、口で言うところの(理論武装)なんて、言葉の遊びでしかない・・・

 

(理論)よりも(肉体=武闘)が、モノをいった時代だった。

集会が潰され、提起した学生大会も潰され、ビラまきは妨害され、立て看板は壊され・・・それが、僕が参加した1969年から1970年に至る時代のすべてだった。

 

我が大学の全共闘は、196910月、東大闘争の二番煎じとして、(闘ったというアリバイづくりのために!!)時計台に立てこもり、石や火炎瓶を投げ、機動隊の導入を招いたことがあった。

 

その時に、僕たちは、「機動隊導入反対」「学問の自由を守れ」とシュプレヒコールして、学校周辺をデモして回ったが・・・実際のところ、全共闘の無法を阻止する実力部隊は、機動隊しか無かったのだ・・・・

 
市大
全共闘が、学内で、暴力的支配を進める中では、すでに「学問の自由」は、消滅していたのだ。彼らは、象牙の塔を破壊するために、研究室から、おびただしい研究資料を持ち出し、クズにしてしまった。


東大闘争では、東大全共闘が、寒い時期に暖を取るために、多くの本や研究資料を持ち出して、燃やして焚火をしていたことは、知られていたが・・・これって(革命?)かよ・・・

 

当時の証言が圧倒的に少ないので、ぜひ知っておいていただきたいと思う次第。






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最終更新日  2022.02.24 22:54:51
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