カテゴリ:社会主義
全体主義の蛮行に口を閉ざすダブルスタンダードに、増す不信感。リベラルの信頼回復は考えられない。 2022-5-10 (はんぺん) 5/4に北朝鮮が、また弾道ミサイルを発射したという。今年に入ってからでも13回目と言うが、発射実験のたびに、ミサイルの精度が向上し、核の脅威は、ますます高まっていく・・・
自民党政府には、喧々諤々(けんけんがくがく)のリベラルたちだが、全体主義の蛮行には、口を閉ざしてきた。僕にはどうしても理解できないダブルスタンダードなのだが、なんとも思わないのだろうか??
金正恩・習近平・プーチンたち独裁者のやりたい放題が、いつかは、地球の破滅を確実にするだろう。人類は核兵器には、無力だ。歴史に学ぶという事は、そういうことだろう。
プーチンの核の脅迫に、世界は震えている。ウクライナが核兵器を放棄したのは1994年の(ブタペスト合意)によるものだが、あの時、ウクライナが核兵器を(放棄)しなかったら、果たしてロシアの今回の侵略は、ありえたのだろうか・・・・ 答えは明らかだろう(プーチンの立場に立てばすぐにわかる)。
平和憲法は、この際、何の役にも立たないことが証明された。(護憲論者)は、声を潜めているのではないか? 侵略者に一方的に攻め込まれたら、(自衛隊反対)(安保反対)(米軍基地反対)などと叫べるだろうか? (憲法による平和)などは、空中の楼閣にすぎなかった。
(護憲論者)は、破産したのだ。いま、全体主義国家群(中国・北朝鮮・ロシア)などの囲まれている日本こそ、防衛体制を見直し、抑止力の向上に邁進しなければならない!!! 悲しいことに、それに(抵抗)するリベラルたちの暴挙には、天を仰ぐしかないのだ・・・
皆さんは、どう思われるか? (はんぺん) ―――――――――――――――――――――――――――――――――― ―――――――――――――――――――――――――― 「選別収容所」でロシア兵から尋問、震える少女は「童顔すぎる」と暴行免れる 2022-5-4 読売新聞オンライン 【リビウ=上地洋実】「恐怖で震えが止まらなかった」――。マリウポリから逃れたマリア・ブドビチェンコさん(17)が、ウクライナ国外からオンライン取材に応じ、1か月前、現地で「選別収容所」と呼ばれる場所でロシア軍から受けた尋問の一部始終を語った。
ブドビチェンコさんと家族3人は退避ルートの小さな街ヤルタで露軍に阻止され、父と2人で収容所に連行された。尋問室でパスポートや携帯電話のデータを調べられ、指紋を採取された。父は尋問担当者から「ロシアをどう思うか」などと質問され、敵対的な人物かどうかを調べられた。
ブドビチェンコさんは、尋問室に通される際、兵士らの会話を耳にしたという。
「選別を通過できなかった10人以上は撃ち殺した」
容赦ない尋問、父は片目を失明 尋問を受けた父は、兵士から暴行を受けて片目を失明した。
「選別収容所」は、クリミア半島の保養地と同名の親露派武装集団が支配する小さな街ヤルタにあった。ブドビチェンコさん、母、妹を乗せて父が運転していた乗用車はヤルタを出発しようとした際、親露派兵士に止められ、誘導された。
バラック建ての簡素な建物の前に500台近い車の列ができていた。下車は許されず、一家4人は車内でまる2日間を過ごした。順番が回ってくると、車から降ろされたのは、父親とブドビチェンコさんの2人だった。尋問の対象となるのは14歳以上といい、妹のほか病弱な母も免除された。
建物の近くで、多くの市民が乗せられたトラックが見えた。後から思えば、選別を通過できなかった人々だったのかもしれない。「どこに連れて行かれるのかは分からなかったが、荷台には数えられないくらいの人がいた」
尋問室では「パニックに陥り、叫び出したい気持ちを懸命に抑えていた」と振り返る。震えが止まらないため、兵士が何度も指紋を取り直したという。兵士らは「童顔すぎる」などと口にして、ブドビチェンコさんに特段の関心を示さず、20分ほどで車に戻された。
「自分が兵士の好みと合致していたら性的な暴行を受け、なぶり殺されていただろう」とブドビチェンコさん。しかし、父は容赦ない厳しい尋問に遭った。
「マリウポリでどんな活動をしていた」「この戦争をどう思う」と、父は兵士から繰り返し質問された。携帯電話のデータを消去していたことが発覚し、「何でデータがないんだ」とどなられ、後頭部を強く殴られた。気付いたら路上に放り出されていて、頭部を殴られた影響で片方の目を失明してしまった。 ――――――――――――――――――――――― ウクライナに侵攻したロシア軍による民間人への残虐行為が世界に衝撃を与えている。無抵抗の市民の殺害や女性への性的暴行も報告されており、ロシア政府の責任は重大だ。プーチン大統領が戦争犯罪に問われる可能性も指摘されている。
キーウ近郊に410人遺体、市民か 各国からロシアの戦争犯罪問う声
ウクライナのゼレンスキー大統領は3日に公開したビデオ演説で、「すべてのロシア兵の母親にみてほしい」と呼びかけ、首都キーウ(キエフ)近郊の町で見つかった遺体の様子を描写した。
「平和な都市の普通の市民が、なぜ拷問されて死んだのか。なぜ女性がイヤリングを耳から引きはがされ、絞め殺されたのか。どうしたら子どもたちの前で女性に性的暴行を加え、殺害できるのか。なぜ戦車で人々をつぶしたのか」
ゼレンスキー氏は、ロシア軍の行為についての捜査を国際社会と進める機関を速やかに設立する考えを示し、「こうした罪を犯した者は見つけられ、罰せられるだろう」と述べた。
殺害・性的暴行・財産略奪…国際人権団体が報告書
国際人権団体「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」(HRW)は4日、ロシア軍がウクライナの民間人に対し、殺害や性的暴行、財産の略奪を行ったとする詳細な報告を公表した。欧州・中央アジア担当部長のヒュー・ウィリアムソン氏は「戦争犯罪として捜査されるべきだ」と訴えている。
HRWによると、戦争犯罪が疑われる事案は、2月27日から3月14日までに確認された。目撃者や被害者のほか、ロシア軍に占領された地域の市民計10人に聞き取り調査をしたという。
北部チェルニヒウの村では2月27日、3家族の男性6人がロシア軍に身柄を拘束され、殺害された。そのうち1人の男性の母親が拘束された際に近くにいて、その後、6人全員の遺体を見たという。この母親はHRWに「彼らの手は背中の後ろで縛られていた。ポケットの中身は空で、携帯電話もカギも身分証もなかった」と話した。
キーウ郊外のブチャでは3月4日、男性5人がロシア兵に連行された。彼らはブーツと上着を脱ぐよう指示され、頭にTシャツをかぶせられた上で、1人は後頭部を銃で撃たれたという。
目撃者がHRWに語ったところでは、ロシア兵はその場にいたウクライナ市民に対し、「心配するな。私たちは、あなたたちから汚れを浄化するためにここにいる」と述べた。撃たれた男性の遺体は、目撃者がブチャを離れる3月9日の時点でも、そのまま放置されていたとされる。
地下室に発煙弾、出てきた女性と子ども射殺か キーウ郊外ではまた、ロシア軍が地下室に発煙弾を投げ込み、そこから出てきた女性と14歳の子どもを射殺した事案も確認されたとしている。
3月13日には北東部ハルキウ地方の学校で、避難中の31歳の女性がロシア兵からくり返し性的暴行を受けたと、HRWに訴えている。
女性の証言はこうだ。
「ロシア兵は午前0時ごろ、窓ガラスを割って学校に侵入してきた。兵士はアサルトライフル(突撃銃)と拳銃を持っており、整列を命じた」 2階の教室に連れていかれた女性は銃を向けられ、服を脱ぐよう命じられた。こめかみに銃を当てられ、性的暴行を受けたという。
学校は暖房がなく寒かったが、着衣は上半身しか許されなかった。その後で再度、性的暴行を受け、ナイフで首やほお、髪を切られたり、顔を何度も殴られたりした。HRWは「顔の傷を写した2枚の写真を確認した」としている。
HRWによると、ウクライナ市民からは、ロシア軍が食糧やまき、衣類やチェーンソー、おのといった物品を強奪したという証言が聞かれた。自宅を荒らされて猟銃やガソリンを発見され、処刑すると脅された事案もあったと報告されている。
戦時下の違法行為については、国際人道法などの国際法で定められている。ウィリアムソン部長は「我々が記録した事案は、ウクライナの民間人に対する意図的な残虐行為、暴力行為に相当する」と指摘。
「ロシアは自国兵による戦争犯罪の疑いについて、公平に調べる国際的な法的義務を負っている」と訴えている。(藤原学思=ニューヨーク、丹内敦子) ブチャ「リンゴの木通り」で絶たれた4人の命 (1) 2022年5月3日 AFP発信地:ブチャ/ウクライナ 【5月3日 AFP】ウクライナの首都キーウ近郊にあるブチャのヤブルンスカ通りで、遺体となり見つかった4人の男性。彼らがここにたどり着いた理由は、それぞれ違った。危険な脱出を試みた人、借りた自転車を返そうとしていた人、負傷した知人の元に向かっていた人。中には、ロシア生まれの人もいた。
ロシア軍がブチャから撤退した後、ヤブルンスカ通りではこの4人を含め、民間人の服を着た少なくとも20人の遺体が見つかった。大半が銃で撃たれ、数週間にわたり道路に放置されており、ロシア軍による戦争犯罪の犠牲者とみられている。 AFPなどが撮影した死者の写真は、ロシアに対する新たな怒りと制裁、そしてウクライナに対する支援の強化につながった。
ブチャは、自然に近い穏やかな暮らしを求める家族がキーウから移住するベッドタウンとして成長。だがロシア軍にとっては、キーウに通じる要衝だった。
「リンゴの木」を意味するヤブルンスカ通りで起きた惨事については、今も多くの疑問が残っている。だが、捜査当局が調査を開始し、地元住民の証言が集まるにつれ、その詳細が明らかになりつつある。
AFPは、ヤブルンスカ通りで見つかった人々の身元と死亡の経緯を知るべく、現地取材を重ね、死亡診断書を入手し、目撃者や遺族ら数十人に話を聞いた。そうして判明した4人の最期について、全4回の連載で伝える。
■第1回:突然の銃撃 ── ミハイロ・ロマニュクさん(58)
オレクサンドル・スマフリュクさん(21)は、うつろな目をじっと動かさず、3月6日朝の出来事について回想した。「2人で一緒に出たが、帰りは私一人だった」 ロシア軍は、1週間以上前に戦車でブチャへ進攻。ウクライナ軍が数日前に仕掛けた反攻は失敗に終わり、ロシア軍はブチャの支配を強めていた。
住民にとって、市外への避難は危険さを増し、やがて不可能になった。電気や水道は止まり、携帯電話も通じず、ブチャは外界から切り離された。
スマフリュクさんは6日の午前10時半、砲撃で重傷を負って入院中の父親を見舞うため、恋人のおじのミハイロ・ロマニュクさん(58)と共に自転車で出発。ヤブルンスカ通りに着くと、銃撃が始まった。
「誰も見えなかった。どこから撃ってきたのか、最後までわからなかった。ただ銃声が聞こえて、彼が倒れるのが見えた。私は脇道に入って逃げた」
AFPの取材に応じた住民は、ロシア軍による占拠中に多数の方向からの銃撃を見たり聞いたりしたと証言しており、人々の殺害には複数人が関与していたとみられる。
イルピンに続くヤブルンスカ通りには、ブチャを占領したロシア軍の前哨部隊が陣取っていたが、住民は当初それに気付いていなかった。ブチャ警察幹部のビタリー・ロバス氏によると、ロシア軍は「陣を構え、動くものや近づく人すべてに発砲した。銅像まで撃っていた」という。
ロマニュクさんの遺体は28日間にわたり道路に放置され、収容されたのはブチャ解放後の4月3日のことだった。死亡診断書には、弾丸の貫通による頭部外傷があると記載され、死因は「殺意を伴う自動小銃による傷害」とされた。
ロマニュクさんはブチャで暮らす建設作業員だった。義理の妹のビクトリア・バツラさん(48)は「歌うことが好きな陽気な人で、ちょっとした酒飲みだった」とAFPに語った。「人生を愛し、誰も傷つけたことのない、素朴な人だった」
(c)AFP/Daphne Rousseau and Joshua Melvin
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最終更新日
2022.05.10 00:00:16
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