♪ 毛筆で詠進歌書くすぐ横でツクツクボーシの歌が始まる
歌会始の締め切り(9月30日)が迫っている。
なかなか「これだ!」という手応えを感じさせる歌がない。力が入り過ぎて会心の演技が出来ないフィギュアスケート選手のような、満塁のチャンスに甘い球を凡打しているバッターのような気分。
素直にすーっと出来たようなのがいいというのとは裏腹に、考えすぎて訳が分かんなくなっている。
主観的な歌を客観的に詠むということの難しさ。袋小路に入り込んで目先のことばかりに囚われ、視界が広がらない。気分転換をしてみたところで何も変わらない。
良いと思って読み返すと、何か気に入らない。改めて詠み直すと却って良くないものが出てくる。違う角度から詠んでみたり、テーマを変えて見たりしてみても、グルグルと堂々巡りしている。
「出来た!」と候補の中から3首を選んで、半紙のサイズに草書体でプリントアウト。
いよいよ毛筆で練習を始める。何度か書いている内に何だか歌に自信がなくなって来る。欠点が見えてくるのだ。自分が出ていない、ただ状況を詠んでいるに過ぎないということが分かって、その歌は没にする。もう二つの歌も同じように書いてみるとどうにも気に入らない。
そんな私を慰めに来たのか、ツクツクボーシがすぐ横(1mほど)の網戸に止まって鳴きだした。
かなり長く鳴いてる。今まで他の網戸に止まって鳴くようなことはもあった。そんな時はたいがい鳴き終わったと同時に、「おっと!、こんなところで鳴いてる場合じゃない」と、気づいた風にあっという間飛んで行ってしまう。
しかし、この時は違った。鳴き終わっても飛び立とうとせずジッとしているので、カメラを取りに行って何枚か撮ることが出来たわけだ。
二階の北の窓の周辺には木など一本も無い。よりによってこの部屋へやって来るとは。何かを伝えに来たのか。詠進歌は、「神と天皇と言の葉」の神聖なつながりを儀式の中に認めるためのもの。歌の神、あるいは宮内庁からの使者か。
もっとしっかり歌を吟味しろ、心を開放して素直になれと言われているような気がした。それで再び歌の推敲をする。かなり手直しをすることになり最初のものとは随分違う歌になった。
毛筆での練習し、清書して投函するのは明日にした。
台風一過の朝方は雲もあったが、午後には真夏の暑さ。すっかり晴れた夕方には雲一つない清々しい空が広がっていた。
拡大すると、辛うじて遠くに蝙蝠の姿が見える
暗くなりかけた空に蝙蝠が舞い始めた。目の前でコウモリが舞うなんて珍しい。以前にもあったような気もするが、ずいぶん前のことだろう。
盛んにトリッキーな飛び方で、右から来たかと思うと、下からフレームインしてきたりする。交差して飛んだり、遠くの方へ行ってしまったかと思うとまたやって来る。
暗いので明るさの残った空をバックにした時だけ見える。手持ちのバカチョン・カメラで撮るのは至難の業。どうにか撮れた一枚だ。
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◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。
◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題してスタートすることにしました。
◆2014年10月23日から「一日一首」と改題しました。
◆2016年5月8日より「気まぐれ短歌」と改題しました。
★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)
☆短歌集「ミソヒトモジ症候群」円居短歌会第四歌集2012年12月発行
●「手軽で簡単絞り染め」
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