世界的維新の時 日本の役割
福山様皆様メール有り難うございます> わからないのは、蒋介石は日本に留学していました。そして日本軍でも勤務していました。そのような人が> なぜ、日本と戦争をするようになったのかです。どうも解せません。> 日本と戦争をするには、戦争をすれだけの根拠がなければなりません。→初代中華民国大統領 孫文も日本に学んで留学しています。その時蒋介石と日本で会います。支那に帰り孫文の下に入り孫文の指示でソ連に留学し息子将経国もソ連に留学します。汪兆銘を立てて親日政権が7年間存続します。蒋介石は西安事件で部下の張学良の裏切りに会い拉致され殺されそうになりますがスターリンの意向で生かされ完全なスターリンの傀儡になります。張学良もスターリンの指示で蒋介石を裏切ったのです。当初蒋介石は抗日運動よりも共産党撲滅の戦いをしてましたが以上の経過で全く実権のないスターリンの意のままに動く存在になっていきます。以上の 孫文、将経国、汪兆銘、張学良、西安事件、上海事件、スターリン の言葉で調べて下さい。 彼は当初反共の立場で日本と協力関係で支那統一を考えましたが西安事件で拉致され息子の将経国もスターリンに拉致同然の状態で転向していき日本と戦うようになった。しかし、途中厭戦気分に囚われたがスターリンの命令を無視できず戦いを継続した。と言うのが真相のようです。以下にシナ事変開戦前の動画をアップします。他の今までのも置いてあります。 これは良くまとまっています。分かりやすいです。 蒋介石は台湾でも親日派を多数殺しておりますし、立場がころころ変わり信頼できる人間では無かったようです。この蒋介石の忠告で日本の分断が免れたというのは嘘です。ソ連は全く蒋介石を人として見ていませんでした。その者の言うことを聞くソ連ではありません。 どこかの団体では日本を救った名士であると教育されていますがデマですね。 全くの悪成る国家ソ連、それに動かされる米国、一人窮地に追いこまれる日本。 戦時中の日本軍の事を悪く言う者がいますが、窮地に追いこまれても潔く戦い敵人も救助する日本軍でした。 戦争中ですからいろんな事もあったでしょうが大局的に見れば日本は窮地にあっても義を求めたと言うことが出来ます。 英国は 日本との戦い(インパール作戦)に感動し東京裁判では自国の代わりにインドのパール判事を送ってます。 このパール判事は日本の無罪を東京裁判で主張し、その後も彼の論文を読んで日本人は自信を持って下さいとエールを送っています。 北京の55日の義和団との戦いでも英国の大使が日本の武士道に感動し、日英同盟が世界ではじめて白人と有色人との同盟が締結されました。 日本こそ真義を求め人種差別撤廃を当初から叫んできた義中の義の国家だったのです。昔ですから今の基準で見ればおかしな事もあったでしょう。しかし底流に流れる精神は2万年前からの大和魂なのです。明らかに最期の時には神の義を立てる国として神から育てられて来た神国なのです。今年は明治維新から144年目で有り、新しい維新を敢行するときであり正しく明治維新の世界的同時性を迎えているときなのです。NHK大河ドラマまさしくその時の女の戦いを放映するのです。敵も味方も義を求め共同参画する話です。八重の女性としての信念は素晴らしいものです。よく見て下さい。さて以下の動画をご覧下さい。http://pub.idisk-just.com/fview/vNf6S3ea8-n3sARLQ0wHOfqgD3kKImdA8pZCI7c5SdcYPwiC5XoWaQ