テーマ:愛する家族(1563)
カテゴリ:日々戯言
久しぶりに音楽以外のことを書いてみます 私の両親はすでに亡くなったのですが、ふと思い出すことがありましてね 以前の日記に書いたことがあるかもしれませんが、私は大学を1年留年して卒業しました。 自分の息子が大学を卒業するような年なのですから、もう30年以上昔の話です 理由は、情けないことに不勉強というか怠けというか、卒論が書けなかったからです。 自分の子がなんとなく不勉強で留年すると言ったら、怒り心頭でしょうね… 上の子なんかは本当に頑張って社会人になってくれましたから、エライな、ありがたいなと思っています(お母さんは実はこうだったのに、とは話していません、恥ずかしくて) 4年になり就職も決まっておらず秋頃だったか、いよいよダメだとなって母に打ち明けました。なんとかならないのかと大層嘆かれました。父は当時50代後半でしたが、目を患って50才頃に早期退職していて無職で、母がパートに出て家計を支えていました。そんな苦しい中、大学まで行かせてもらっているのに当時の私は感謝の気持ちもなく、自己中のばかやろうでした。なんか、うちは苦しいんだからねというようなお金の話を子供に言わない親だったせいか、本当にフワフワと自覚なく育ってしまったようです。家を出ていたので家の窮状に目を背けていたというか。大学生といっても精神は幼くて、ちゃんと言い聞かせないといけないことは子供に伝えるべきなのでしょうね… うちに収入がないのはわかっていたので、授業料免除は申請して受けていましたが、下宿していたので生活費の仕送りが大変だったと思います。 私もその時はとても無気力に陥り、何をしたいかわからないしこのまま中退してもいいと言いました。すると、普段から割と静かな父が「それでも今やめたら、後々後悔するだろう」と穏やかに言って、留年することを許してくれました。その代わり今いる下宿は4年で引き払い、残りの1年は卒論の勉強等で週1程度なので遠いけれど自宅から通うことになりました。 お陰で追加の1年で無事卒業でき、資格も取れました。 その資格は就職した仕事では必要なかったけれど、卒業後20年ほどたって、ひょんなことで役に立つことになりました。 もしあの時、投げやりな気持ちに任せて中退していたら、理解のない親だったら、資格も取れず、今の仕事にも関われていないし、何かにつけてそのことを引きずった自己肯定感の低い人間になっていたかもしれません。 もうすぐ父の十三回忌、あの時の父のひと言に感謝しています。 今、暗い気持ちにならずに生きていけるのはあなたがいたからです。 人気ブログランキング にほんブログ村 ランキングに参加しています ポチッとよろしくお願いします(^・ェ・^) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jul 23, 2023 05:02:39 AM
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