ルールを守るのが良い人間か?
もし、亀田選手が、ルールを守って勝っていたら、「良い人間」だったのだろうか? 私は、つい、「子どものための哲学対話」-人間は遊ぶために生きている!: by 永井 均,内田 かずひろ を思い起こします。うろ覚えですが、その中で、「自分の中で完全に満ち足りている人」を上品と言い、「周りの人に認めてもらわなければ、満たされない人」を下品と言っていたと思います。 すなわち、上品とは、そのこと自体が楽しいのであって、それの外側に、いろんな意味や目的を持たせなくてもよい状態。ただ、単に、自分のしたいことをして、楽しんでいる状態です。簡単に言えば、「遊び」です。 それに対し、下品とは、いかにお笑い芸人のように、楽しげにしていても、それが他人に認められるためにやっているものは、「遊んでいる」ことではなく、下品なことと分類していました。 もちろん、遊び人が、人に迷惑をかけることもあります。遊び人は、もともと道徳の善悪にはとらわれないことが多い。しかし、遊び人は、ボクシングそのものが楽しいのであって、勝とうとするプロセスが楽しいのであって、インチキして勝つことは、楽しいことではない。ゆえに、あまり、「悪いこと」はしない。 しかし、自分の外側にしか頼るものが無い人は、結果がすべて、人の評価がすべてなのだ。だから、インチキをしても勝ちたいと思うんだな。 あの、赤福にしても、真面目に作ることだけを楽しんでいたら、こんなことは、決してしなかったでしょう。利益という外側の意味をくっつけたから、おかしくなった。 私たちは、生きることを、ほにゃららのために頑張らなければいけないと言いがちです。しかし、上品な生き方とは、生きること、それ自体が楽しいので、人生を楽しむのです。決して、他人に評価されるからではないのです。ですから、本当に「上品な」人は、ほとんどの場合、地味な人なのでしょう。 この寅さんは、まだ、そこまで到達していません。半分は認めてもらいた~い、って思いも入ってるから、こんなブログも書いています。しかし、言いたいことは、やっぱり、「ねえ、遊ぼう!」ということです。