神との対話を読んで
「神との対話」(ニール・ドナルド・ウォルシュ)を読みました。神との対話?ホントウ??怪しすぎる!私もそう思います。しかし、本にもこう書いてあるんです。 ホントウかどうか、よりもそれが役に立つか、立たないかで判断すべきだ、と。これで私は、一気にウォルシュとの距離が縮まりました。逆に、これがどこどこ成人からのメッセージです。心して聞きなさい。という文章だったら、引いてしまいますね。それに世界的なベストセラーになっているわけです。現実に。長年。これは聞いてみなくちゃ。ところで、現代の科学も、似たようなスタンスですね。本当かどうか、というよりも役に立つのかどうかだ、と。つまり、本当にこれが神の言葉かどうかは、どうでもいいんです。その内容に腑に落ちるものがあるかどうかなのです。逆に、これが本当に、神様からの言葉かどうかに焦点を当てない方が、安全なのです。もしも、本当にこれが神様からの言葉だったら、あなたは不幸の内容だったとしてもその指示を採用しますか?危ない危ない!無名の人の言葉でも、役に立つと思えば、採用し、神のような超権威のある人の言葉でも、自分に都合が悪ければ、ポイすればいいんです。真実のみが正解じゃないのは、人間関係を見ればすぐにわかります。キリストやブッダだけでなく、本当は神はすべての人に語り掛けていることがわかります。善人にも悪人にも。俗人にも。神は様々な方法で私たちを訪れます。生徒の準備が整ったところで教師が現れるんです。世の中に偶然はないのです。すべて完璧なタイミングで起こっているんです。日常の何気ない出来事も、すべてが意味があるのです。意味をくみ取れる人とくみ取れない人がいるだけです。すべてが恵なのです。感謝できる人とできない人がいるだけです。とにかく、これは聖書にも間違いなく口酸っぱくかいてあるんですが、喜んでいましょう。笑いましょう。今できる最高の戦略は、ニコニコすることです。理由はあとからどうにでも付けられます。これ以上の作戦はありません。これを実行すると、日常生活のすべての場面で神を感じることができるようになるんです。経験するすべての出来事に感謝をするのも、当然ですね。だって、それも神からのプレゼントなんだから。また、感情もプレゼントです。じっくり味わいましょう。