「料理の味を決めるスパイスが目に見えないように、大切なものはいつも目に見えない」
数々の名言が映画の全編にちりばめられた、「タッチ オブ スパイス」。
見終わった後に、ジーンときました。
ストーリー
人生は料理と同じ。
大切なのは“スパイスのさじ加減”――
それを教えてくれたのは、大好きなおじいちゃんだった。
1960年代、トルコのイスタンブールでスパイス店を営むおじいさんの家で暖かい家族、大好きな友達に囲まれ育った少年ファニスは、屋根裏部屋でおじいさんからスパイスの効用、天文学の話を聞き引き込まれていく。そんなある日、戦争の煽りでギリシャ人強制退去の命を受け、「後で追いかける」と言うおじいさんを残し一家はアテネへ移住。しかし、おじいさんと会えぬまま時は過ぎ、ファニスは料理の上手な子供から青年へ、そして天文学者へと成長していく。やがていよいよ おじいさんから移住の連絡が。しかし、料理をし、皆で到着を待つ席で電話のベルが鳴った・・・。
公式ホームページより
それこそ全編にちりばめられているおじいちゃんの名言。それを味あうだけでも楽しくなる。
「太陽は胡椒、全てを見渡す。金星はシナモン、苦く、そして甘い。ヴィーナス(=女性)といっしょだ。地球は塩。地球にいる生命を保つには食事。食事には味付けが必要だ。人生も味付けがないと惨めだ」
「見えないものを語る男になれ」
などなど・・・・。
ただし、物語の背景は重い。
長年にわたる、ギリシャとトルコの紛争の犠牲になったコンスタンチノープル(=イスタンブール)の複雑な歴史が背景にあって、そこに住むギリシャ人の国外追放問題が話の柱。
国家間の政策に翻弄される「家族」や「個人」を、ファニス少年とおじいちゃんの関係を軸に丁寧に描いている。
トルコ国籍を持つおじいちゃんはそのままトルコに、ギリシャ国籍の父、母、それにファニス少年は国外追放にあう。
そこに宗教問題がからむから、なおさらややこしくなる。
国外退去を告げにきた役人に、父はこう持ちかけられる。
「イスラム教に改宗すれば、ここに残れますよ」
父は後になってこう語る。
「最悪の5秒間だった」と。
そこには、単一民族国家に近い日本に暮らす私には、とうてい理解しがたいものがあるのだろう。
古代より次々変わる為政者。国家。それに宗教間の争い・・・・。
それはいつも、庶民の犠牲の上に成り立っている。
この映画は、そう言った複雑な問題を、「スパイス」のオブラートにくるんで、解りやすく私たちに問題提起しているのだ。
最後に、移住してくるおじいちゃんがパスポートを持っていなかったこと、これをどう捉えるかによって見方が変わる映画だ。