カテゴリ:映画-欧州
大変ごぶさた致しておりました。 私なりの「C級シネマ評論」を復活させようと、あれこれ考えていたのですが、これほど長期に休んでしまうと「復活」させるのにも勇気がいりました。 何だか構えてしまって、「取り上げる映画を選んでしまう」と言う自虐的な状況に陥ってしまったのです。軽い気持ちではじめた「C級シネマ評論」なので、それに捕らわれていくのは本末転倒なのですが、致し方ありませんでした。 そんな中で復活に際して取り上げたのは、「白バラの祈り ゾフィ・シェル、最後の日々」です。前から見たい見たいと思っていた映画で、ようやくDVDで見ることができました。公式ホームページ ストーリー CINEMA TOPICS ONLINE より 1943年、ミュンヘン。ヒトラーが破壊的な戦争をヨーロッパで遂行する中、そのほとんどが大学生からなるドイツ人の若者たちのグループがあった。ナチスによる非人道的戦争を終結させる唯一効果的な道は、非暴力的なレジスタンス運動に訴えることだと彼等は考えていた。第三ドイツ帝国を失脚させるべく、レジスタンス組織、「白バラ」が結成された。ゾフィー・ショルは、唯一の女性メンバーとしてグループに入る。純粋なゾフィーは、兄と共に献身的に抵抗運動を行うなかで、一人の女性として成熟していく。 全文を読む ゾフィー・シェルは、どこにでもいそうな女学生である。 ビリー・ホリデイの曲が好きで、シューベルトをこよなく愛する女の子である。 澄み切った青空が好きで、風の音に心をときめかし、恋人のことを思い続ける心豊かな女の子である。 そんな普通の女の子が、レジスタンス運動に取り組んでいく過程で、「人間として」大きく成長していった。 この映画は、その過程を丁寧に描いた、秀作である。 映画のほとんどはゾフィー・シェルが逮捕されて取り調べを受ける場面で、ゾフィー・シェルとロベルト・モーア尋問官とのやり取りである。 この取り調べの中で、ゾフィー・シェルは闘うことの本当の意味を知っていく。そして「人として」大きく成長していくのである。 ゾフィー・シェルは最初から立派な「闘士」だったわけではない。 大学にビラをまきに行く前のアパートでのシーン。 ピンで髪をとめた自分の姿に「普通の学生みたい?」と兄に聞く。そんな、本当にどこにでもいる女の子である。 2度ほど繰り返される、ゾフィーが膝に置いた手を握りしめるシーン。取り調べに対する恐怖に、ゾフィーは必死に耐え続ける。 最初は無罪を主張していたゾフィーだが、次々にあがる証拠に闘う決意を決める。 「そうよ、ほこりに思っているわ」とモーアに答えるゾフィー。 トイレで涙を浮かべながらも、髪のピンを外す。このシーンは、「普通の学生」との決別、ゾフィーが闘うことを決意したシーンだ。 ゾフィーの心は揺れながらも、最後まで信念を貫き、仲間を守る。 尋問官モーアが、ゾフィーを取り調べるシーンは圧巻。 モーアのナチス擁護の世界観に、毅然と立ち向かうゾフィー。 ゾフィー・ショルを演じるユリア・イェンチと、モーア尋問官を演じるアレクサンダー・ヘルトの迫真の演技に、スクリーンに引き込まれていく。 留置場。 窓に向かって祈りを捧げるゾフィー。 空襲に心をときめかすゾフィー。 切なくなるシーンだ。 そして、裁判。人民法廷での死刑判決。 死刑判決から99日ある猶予もなく、即日、処刑されるゾフィー。 控え室で一人になったゾフィーは、自分の下腹を押さえ、動物のような唸り声をあげる。 自らの信念に従い死を選んだゾフィーだが、決して強靭な精神力を持ち合わせた女性ではなかったのだ。 「死」に対する恐怖と、残していく恋人・家族のことを思い、揺れ動く心を持つごく普通のやさしい女性だったのだ。 そして、それらへの決別が「動物のような唸り声」として表現される。 第二の自分との決別である。 廊下。 家族との面会を終え、涙ぐんだ姿をモーアに見られたゾフィーは言う。 「両親に別れを言ったからよ、誤解しないで」 良心に従った自分をありのまま受け入れ、迷いと決別した言葉である。 ラストシーン。 処刑室に移される途中で、青空を見上げたゾフィーの顔がまぶしい。 祈りを捧げた「窓」の外にでたゾフィーが、そこで見たものは何だったのだろうか。 1943年2月23日、ゾフィーが命を奪われてから60有余年たった今でも、戦火の絶えることない愚かな地球の、未来予想図でなく、「輝き続ける太陽」であって欲しいと祈るばかりである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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