カテゴリ:映画-邦画
悔しさに、唇を噛んで涙を流した。 嬉しくて、微笑みながら涙をぬぐった。 流れくる涙を止めることもせず、スクリーンに向かって拍手を送った。 「フラガール」は、そんな映画だった。 公式ホームページ ストーリー goo映画 昭和40年。エネルギーの需要は石炭から石油へとシフト、世界中の炭鉱が次々と閉山していた。そんな中、福島県いわき市の炭鉱会社は、地元の温泉を活かしたレジャー施設「常磐ハワイアンセンター」の計画を進めていた。目玉となるのは、フラダンスのショー。早速、本場ハワイでフラダンスを学び、松竹歌劇団で踊っていたという平山まどか(松雪泰子)を東京から招き、地元の娘たちのダンス特訓を始める。しかし数世代も前から山で生きてきた住民は、閉山して“ハワイ”を作る計画に大反対。まどかや娘たちへの風当たりも強く…。 全部読む 舞台になっいる昭和40年は、前年までのオリンピック景気が終わり、金融不況に陥った年である。とりわけ石炭を取り巻く環境は以前にも増して厳しさをまし、同年2月、北炭夕張炭坑でガス爆発がおこり62人が死亡。また、6月には福岡県山野炭坑でガス爆発により237人が死亡している。 このような事故は、石炭から石油へとエネルギー需要が変化していった過程とあわせて、石炭産業をますます斜陽化させていき、日本全国の鉱山が、閉山を余儀なくさせられていった。(昭和43年12月に提出された「石炭鉱業審議会石炭対策第四次答申」が、中小鉱山の閉山を加速度的に進めた) と、のっけから小難しいことを書いたが、この「フラガール」を見るにあたって、これらのことをぜひとも理解しておいて欲しいのだ。 昭和40年という時代、主人公達の生活の場=炭坑の置かれた現実を縦軸にしっかりと位置づけ、その上で谷川紀美子(=蒼井優)、母の千代(=富司純子)、兄の洋二朗(=豊川悦司)の三人家族の絆と、三人を取り巻く人々の生活を横軸に置いて、しっかりと描きあげた秀作である。 久しぶりに、「映画らしい映画」にであったと思う。 石炭不況に金融不況が重なり、山で働く生活は厳しさを増していく一方である。また不況で炭坑の閉山が決まり、多くの同僚がリストラされる。紀美子も、親友の早苗(=徳永えり)もそのような状況からの脱出を夢見る18歳である。 一方兄の洋二朗は、子供の時から大きくなったら炭坑で働くのは当然と思い暮らしてきた。 仕事や生活感にしても、谷川家の三人には、はっきりした違いがある。 兄の洋二朗は、「時代が変わったからと言って、なんで俺が変わる必要がある」と自分自身には頑固だが、紀美子が変わることには影ながら応援する。 また、母の千代は「今まで仕事というものは、暗い穴の中で、死ぬか生きるかでやるものと思っていた」と真っ正直に、律儀に生きてきた。 そう言った二人に挟まれながら、紀美子は早苗とともに「変わること」を求めるのである。 しかしながら、紀美子の変化は容易ではない。 母からはフラガールになることに反対され、家をでて練習場で寝泊まりすることになる。 また、なかなか本腰を入れて教えようとしない平山まどかに対しても、わだかまりを持つ。この平山まどかの設定も絶妙で、一度は変わりながらも、後戻りを余儀なくせざるを得なかったという過去を持つ。ここがフラガール達を指導する事に、のめり込めない理由のひとつだ。 とは言うものの、フラガール達もなかなか思うように練習に身が入らない。平山とぶつかりながらの手探り状態が続く。 しかしながら、一人練習場で黙々と平山が踊るタヒチアンダンスを見て、本当の躍りの迫力を知る。また、フラダンスのハンドモーションの一つ一つに意味があることを知り、フラダンスに魅了されていく。 そしてもう一人、変わろうとする早苗。その早苗は、本人の意志にもかかわらず変わろうとすることを拒絶される。炭坑の閉山、父のリストラ、それにともない夕張炭坑へと引っ越しを余儀なくされるのだ。この現実に、平山がショックを受ける。 別れのシーン。 「先生、ありがとうございました。今まで生きてきた中で一番楽しかった。」と早苗。 平山まどかは自分自身の過去と重ね、早苗を抱きしめる。そしてサングラスを渡す。 「先生、ありがとう・・・・」 (この別れ以後、平山の教える態度がガラリと変わる。) さらに、途中の土手で紀美子が車を追いかける。 「じゃあなあ」、「じゃあなあ」と交互に声を掛け合う二人。 「じゃあなあ」は、いつも二人が別れる時に使った言葉だ。そしてそれにつづく思いは、「明日もね」だった。 明日からは会えない、この現実に抗うこともできず、それぞれの道を行くことを余儀なくされた二人には、別れの言葉もそれしかなかったのだ。 フラガール達のキャンペーンが始まった。 キャンペーン中に様々な出来事があり、その中で踊り子達はハワイアンダンサーチームとしての団結や、プロとしての心がけを学んで行き、それとともにマスコミでの評価も高まっていく。 その記事を、坑内で一人嬉しそうに読む兄の洋二朗・・・。 そしてキャンペーン最後の日、山で落盤事故がおこる。 犠牲者は、ダンスチーム結成当初からのメンバーの熊野小百合(=山崎静代)の父だ。 出待ちの楽屋。静代に事故を告げる平山と吉本。 「いやなら、帰りなさい。やれる子だけ残って・・・・今までの私だったら、そう言ってたかな。帰るわよ。」帰ることを決める平山。 ところが、「踊ります。踊らしてくんちぇ。父ちゃんもきっとそう言っているから・・・」と小百合。 子供達がたくましく成長し、「プロ」になった瞬間だ。 その夜。山。炭坑の集会所。 キャンペーンを終えた踊り子達が帰ってくる。 父親の死に目に会えなかった小百合。 すぐに帰ってこなかった踊り子達に、非難の目を向ける山の人たち。 「踊れと言ったのは私です。子供達を責めないでください。」と、責任を一人でかぶる平山。 「帰れ、東京へ帰れ」 「わかりました。ひとつだけ。ハワイアンが山を潰すと言うけど、子供達は山を救うために頑張ってきました。きっぱりプロになりました。オープンの日には、晴れ姿を見てやってください。」 自分がやめることで、フラダンスチームが解散させられる危機を、平山は救ったのである。 一方、常磐ハワイアンセンターの建設工事は遅れ、せっかく植栽した椰子が枯れてしまう危機を迎える。工夫からセンター職員へ転職していた洋二朗の親友の光夫は、かつての山の仲間に石油ストーブを貸してくれと頼むが、みんなから拒否される。 夕方、早苗からの小包を届けに練習場に向かう千代。練習場では、必死にタヒチアンダンスの練習をする紀美子。この躍りのシーンでは、時折挿入されるスローモーションが効いている。スローモーションの部分が、私の脳裏に焼き付くのだ。そしてそれは、千代も同じだったと思う。今まで「仕事というものは、暗い穴の中で、死ぬか生きるかでやるもの」と思っていた千代は、楽しそうに、しかし必死で踊る娘の姿を見て、娘の心情、そして同時に世の中の変化にも気づくのである。 そうなると千代の行動は早い。 自らすすんで、ハワイアンセンターの椰子を守るべく、ストーブ集めを始める。 「今まで仕事というものは、暗い穴の中で、死ぬか生きるかでやるものと思っていた。でも、あんなふうに笑顔で働ける世の中作れるかもシンねえ。こんな木枯らしくらいで、あん娘達の夢、潰したらいかん。」 山の仲間も、次々に協力してゆく。 「一山一家」、まとまったら強いのである。 駅。 列車に乗っている平山。 そこへ駆けつけるフラガール達。 必死に残るように訴えるフラガール達。 「いくべ」と平山の元へ駆け寄ろうとするみんなに首を振って、一人踊り出す紀美子。 「トゥー・ユー・スィートハート、アロハ(to you sweetheart Aloha)」、ハンドモーションの意味を教えてもらった歌だ。 「大切なあなたにアロハ 大切なあなたにアロハ 心の底からアロハ 唇の笑みを消さないで あなたの涙をぬぐって もう一度アロハ さあ、もうさよならをいう時だ 大切なあなたにアロハ 夢の中で今夜はあなたのそばにいるから 祈っている 二人がもう一度会う日が訪れることを それまで大切なあなた アロハ」 (訳 パンフレットより) 「スマイル」が口癖だった平山が、始めて涙を流す。 動き出す列車を停めて、降りてくる平山。 ラストシーンは、オープンの日のハワイアンショー。 満員の会場に、熱いフラダンスが繰り広げられる。 このシーンは、フラガール達の集大成。 息子を連れてキャンペーンに参加した初子。亡き父の願いを叶えた小百合。ようやく自分の過去から逃れることができた平山。それぞれの思いがスクリーンの躍りを通して伝わってくる。 木陰で見守っていた千代も、思わず前に出てきてしまう。 紀美子の髪につけられたハイビスカスの髪飾りは、早苗から送られてきたもの。舞台には立っていないけれど、紀美子と一緒にここで踊っている。 笑顔で坑内列車に乗り込む洋二朗の姿が挿入される。彼もまた舞台を共有している一人だ。 ショーのラスト、タヒチアンダンス。 私は思わずスクリーン向かって、拍手をしていた。 お断り;文中の会話文は映画を見たあとに書き出したものです。本編と違う場合がありますが、ご容赦下さい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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