カテゴリ:映画-邦画
「母べえ」見てきました。 なんて静かな、それでいて力強い映画でした。 ストーリー 公式ホームページより 昭和15年の東京。父と母、娘の初子と照美の野上家は、お互いを「父べえ」「母べえ」「初べえ」「照べえ」と愛称で呼び合う仲睦まじい家族だ。小さな家庭の穏やかな日常は、文学者である父・滋が治安維持法で検挙された朝から一変する。戦争に反対することが、国を批判するとして罪になる時代だった。 続きを読む・・・ この映画の時代、治安維持法で検挙され投獄された人の数は7万人以上、取調べ中の拷問などによって死亡した人が194人。父べえ・滋のように病気で死んだ人は1503人だったと言う。(「文化評論」1976年臨時増刊号による) そんな時代に、時代に翻弄され、それでいて時代に負けることなく生きぬいた市井の人たちの物語だ。 国家、軍部、大資本がやにくもに戦争を拡大させていった時代、戦争遂行へ国民を総動員していった時代の出来事である。国民は国家の前に息を潜めて生きるしかなかった。 こう書くと、なんだかものすごく堅苦しい映画のように思われるが、けっしてそうではない。 つつましく暮らす野上家の4人、投獄された父、残された母親とこども達の日常を描きながら、彼らをとりまく人達を、静かに、力強く描き、芯のある作品にしあがっている。 この映画の中にでてくる町の人に、悪人はいない。 町内会の人たち始め、鶴瓶扮するおじさんも、その時代を必死に生きた人たちだ。 言いたいことがあっても、公然と言うことをはばかられ、息を潜めながら生きてきた人たちだ。 その中で、母べえは耐え、いろんな人たちに支えられながら子ども等を守り育てていく。 ただ、ものの本質のとらえ方の違いが判断の違いになり、一方は非国人のレッテルを貼られ、投獄される。 何も言えなくなること、このことの方が恐ろしい。 「戦争することだけが愛国心じゃない。戦争をやめさせることが愛国心だ」と、自分の意見を言えなくなることのほうが恐ろしいのだ。 この映画は、そんな重いテーマをユーモアを交えながらうまく描き出している。 それは吉永小百合の存在(私には、この役をやれる女優は彼女しか思い浮かばなかった)に加えて、二人の子役の存在がある。役とは思えない次女役のコミカルな演技は、暗くなりがちな場面を笑いに変え和ませる。 笑いながら目には涙・・・「平和憲法を変えさせてはいかん!」と改めて心に秘めた・・・そんな状況の中で映画は終わった。 ラストシーン 死の間際の、母べえのひと言。 「生きている父べえに会いたかった」 いろんな事に出会いながらひと言も恨み事を言わなかった母べえの、最初で最後の恨み言である。 このひと言の意味は、限りなく大きく、重い。 自由にものの言える時代、自由に表現できる時代、そんな時代を守り続けなければ、そう思った。 お断り 引用した発言は思い出して書いていますので、映画上で言われる表現と違う場合があります。ご容赦下さい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[映画-邦画] カテゴリの最新記事
|
|