カテゴリ:私の住む街
4歳ぐらいの思い出。
自分の部屋で、近所の友達で絵の上手なKちゃんが一緒だった。 なんだか唐突に、絵を描きたくなった。 鉛筆はあった。スケッチブックのようなものがなかったのだろう。 鉛筆だから消しゴムで消えるから大丈夫と、部屋の壁に絵を描いた。 ゆきだるまのおうちの絵。 描き上げて、なんとも言えない達成感があった。 そして消しゴムで消そうとして……え、ウソ、消えない?! お父さんに叱られる。 お母さんにも叱られる……。 怯えきって覚悟決めて、こっそり母に言った。 母は確認に見にきて、なぜか叱られなかった。 けれど、父に知られたらまた殴る蹴るになるだろうと、その後何日間か怯えていた。 父に叱られることもなかった。 不思議だった。 そして結婚して家を出て、もう二度と味を運べることはないと思っていた。 ある時、そんなことが溢れてしまって友達に話したら、 「いつか足を運べる日が来るといいね。ゆきだるまのおうちの絵も待っててくれてるよ」 そんなふうに言ってくれた。 その後だったろうか、福島とご縁が出来たのは。 『I LOVE FUKUSHIMA』のメッセージを背負った4つのピンバッチのお取り扱いをしながら、苦しんでいた。 私はI LOVE KANAGAWAでなかった。いつか岐阜に戻るつもりで、神奈川に自分の居場所はなかった。 そのくせ、私はI LOVE GIFUでもなかった。虐待につながる岐阜を、半ば封印していた。 そんな私が『I LOVE FUKUSHIMA』を取り扱っていていいんだろうか。 2013年8月、福島市にいた。 そのピンバッチを製作された方が、福島市信夫山の烏が崎展望台に連れて行ってくれた。 そこで見下ろした福島市の風景が……なぜだろう (2016年には、この途中までしか書けませんでした。このままUPします。2018.2.16) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018/02/16 10:34:54 PM
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