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カテゴリ:気まぐれ日記
今年から母との同居を考えたのは、去年母が元旦に膝を骨折したことがきっかけです。
もう、1年半前のことになりました。 骨折する前までは、歩いて1,2分の場所に住んでいる兄夫婦の義姉が、週1ペースで買い物など 付き合ってくれていました。 ところが、骨折したことをきっかけに、買い物どころか、電話も、顔も見せに来なくなりました。 母は、義姉のことで悩むこともあったり、愚痴ることもあり、それを聞いてきた私や、主人も どうしてこうなったのか、訳が分からない状態でした。 兄は、単身赴任で週末帰ってきたときに、それとなく状況を聞いても、「忙しいんだよ」というばかりで、 この1年半、母は言うまでもなく、私も主人も、義姉のことになると、釈然としない気分になるのでした。 6月に茅野の家の梅を採ってきたので、母が義姉に電話して取りにきてと伝えたところ、 今日、明日は忙しいとの返事。 用が済んだら取りに来てと伝えたけれど、結局、取りに来ませんでした。 週末、兄が実家に顔を出し、梅を取りに来たという言葉から、 火ぶたは切られました。 なぜ、義姉は梅を取りに来られなかったのか? この1年半の状態をどう思うのか? いろいろ話をしましたが、 所詮、義姉の事、兄自身の問題ではないのです。 兄は、ひたすら義姉をかばい、それでも、 「平日に実家をもう少し訪ねるようにと伝える」という結論で終わりました。 この話し合い、なぜか、私が兄と口論する形になったのですが、 よくよく考えてみると、なぜ私が兄と口論しなければならなかったんだろう・・?と思いました。 この問題は、私の問題ではなく、 母と義姉の問題で、そう! よくある嫁姑問題なのでした。 よ~~く、私も頭を冷やして考えてみました。 問題が起こるところには、問題の種があるのです。 誰かが、種を植えているのです。 問題を解決するには、種を植えた人が刈り取るしか、解決の道は無いのです。 他人や部外者が刈り取ることなど、できません。 これからは、私は、顔を突っ込まないことにしようと、心に刻みました。 (--;) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017.07.04 16:43:30
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