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カテゴリ:その他
空気がカラカラに乾燥する冬場は、春や夏など他の季節と比べて火災の発生件数が圧倒的に多い。放火、不審火、自然発火などは別として出火原因は様々であるが、不注意による人為的なものが大半を占めている。 原発事故が発生した昨年以降は節電モード一色に染まり、電気使用量を減らす為にエアコンの使用を止めて、倉庫の奥に仕舞い込んであった石油ストーブが暖を取る主役に変わるなど、日常生活そのものが大きく変化し始めている。 新品を購入した場合は特に問題はないのだが、古いストーブなどを使う時、手入れを怠りそのまま使用して思わぬ事故を招いてしまうというケースも目立っているようだ。 先頃、大阪市北区角田町の市営地下鉄ホーム内にあるゴミ集積倉庫で火災が発生し、一時、駅構内が騒然となり当時ホームにいた乗客約3千人が駅員の誘導で全員避難、御堂筋線の上下で運行を一時ストップし、約12万人に影響が出た。 その後の調べによると清掃作業員らが「火が出る30分ほど前に倉庫内で煙草を吸った」と証言しており、確証はないものの出火原因が煙草の火の不始末による公算が大きいと思われる。更に、倉庫で煙草を吸う行為そのものが日常的になっていた事実も判明しており、一歩間違えれば大惨事を招いた可能性もある事から、清掃業務を委託した側として、橋下大阪市長自らが最終的責任を果たし、然るべき対応を考えていくものと思われる。 この火災発生より数日前には、東京都板橋区で幼児2名が死亡した住宅火災があった。出火元とみられるリビングで、煙草の吸殻やライターが見つかっている事から、火の不始末、或いは火遊びが原因ではないかと思われる。 死亡した姉妹の死因は一酸化炭素中毒とみられているが、「煙草を吸っていない、室内に火の気はなかった」と説明する母親の言葉に偽りがないとするならば、やはり姉妹の火遊び説が濃厚になって来る。 2010年以降に義務化された『チャイルド・レジスタンス』は、ライターを原因とする幼児の焼死事故が多発した事が背景となっているが、この家で見つかったライターにはCR機構のない古い使い捨てライターだったようである。 煙草を吸う吸わないに関わらず、ライターはどの家庭にも一つ位はあるものである。昔は火を起こすのにマッチが必需品であったように、現代ではその燐寸に代わりライターが主役となっている。発火原因となる物を挙げれば電化製品に囲まれた現代社会では、至る所に火災のリスクが潜んでいる事がよく分るだろう。 皆さんも火元には十分気を付けて頂きたいが、わたしも実は過去に2度火災に遭遇している。過去の記事で話した記憶もあるのだが、1度目の火災は23歳の時、上京する前に横浜に半年ほど住んでいた時期があった。 その年の暮も近い12月の事だったが、藤枝の実家が全焼してしまった。出火原因は神戸家の裏にある貸家に住んでいた住人の寝タバコであった。強い北風に煽られた業火がまたたく間に100坪近くあった実家を焼け野原に変えてしまったのである。 然しそんな大火にも関わらず、燐家の『小川国夫邸』には一切飛び火せず、他の家にも影響は全くなかったのは不思議であったが、神戸家の庭には樹齢数百年と思われる大木が数本立っていたり、庭の中央辺りには『お稲荷さん』を祭ってあったのだが、なんと、このお稲荷さんだけが全く焼けずに残っていたのである。 そしてこの火災が『お稲荷さんの祟り』だと言う噂が流れ始めたのであるが、祖父が他界してからというもの、お稲荷さんの管理を怠り、放置したまま荒れ放題になっていた事から、この祟り説が不気味な現実味を帯びて来たのは想像が付く。 そして2度目の火災は33歳の時、大田区蒲田に住んでいた自分の部屋から出火し全焼...。この時もまた同じく他の部屋には全く影響はなく、自分の部屋だけが黒焦げ状態に。国から届いた援助は赤十字のマークが入った毛布一枚のみであった。 この時、初めてわたしは『難民』の気持ちを理解したのである。出火原因は結局分らず、蒲田警察署に呼び出され、屈強そうなガタイの大きい刑事に散々説教を食らった時の事を鮮明に覚えている。 然し、全焼した筈の黒焦げの部屋から、ある大切な物が燃えかすにもならず無傷のまま残っていた、それが『詩集・天国の地図』の手書き原稿であったのである。これはもしかするとこの詩集が世に出る為の執念を原稿自体が持ち合わせていたと言うある意味奇跡的な事象だったのかも知れない。 現代社会の核家族が叫ばれるようになってから久しいが、わたしが子どもの頃によく聞いた『火の用心マッチ一本火事の元』が、今では殆ど聞かれなくなった。この世に火事ほど恐ろしいものはなく、自分たち家族だけではなくよそ様まで不幸の渦に巻き込んでしまう事に対し、地域全体で協力し合いながら災難を防ぐと言う防災の在り方が、昨年の震災以降には大きく見直されつつあるものの、東京のような大都会では、隣人の顔や名前さえ知らないという、『無関心』が孤独死や餓死などといった惨い状況を作り出している。 「火の用心」カチカチと拍子木を叩く樫の木の音色が人の心に響くような社会になって頂きたいものである。 因みに、『火の用心マッチ一本火事の元』は昭和28年(1953)に東京消防庁によって選ばれた標語である事をお伝えしておきたいと思う。そしてまた、『火の用心』は徳川家康の命を救った『本多作左衛門重次』という武将が戦場から妻へ送った手紙の内容『一筆啓上 火の用心 おせん泣かすな 馬肥やせ』から来ている事も付け加えておく。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
古いストーブを復活させるのはかなり注意しないと怖いですね。一酸化中毒多いですね
(2012.03.08 06:40:47)
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