カテゴリ:カテゴリ未分類
古代史にロマンを感じるのは事実ですが、どこまで史実なのかを思考する時はさすがにロマンで読み解きません!とタイトルに突っ込みつつ、『ロマンで古代史は読み解けない 』を読了(笑)。
著者はヒトの脳機能を、そしてもう1人は動物心理を研究している研究者で、本書はお二人の共著ということになります。 お二人が言うには、歴史においてもそれを史実に近い状態にするには、再現性が必要ということらしいです。 その手がかりとなるのが「地図」なのだそうです。 そこで、本書では地図上に線を引いたりしながら、調査したところ、「陰陽道」のつながりが見えてきたということで、陰陽道を観点として様々な古代に関わる出来事を論考しています。 「陰陽道」というと、安倍晴明もしくは羽生結弦選手(←違う!)を思い浮かべますが、私としては更に役行者の一族である賀茂氏がその祖ということがつい最近インプットしております。 更に本書で得た知識としては「陰陽寮」という言葉。 これは陰陽道の専門機関で天武天皇が設立し、明治2年まで続いていた国家機関なのだそうです。 そう言えば、近江八幡宮に行った時に天武天皇が初めて国内で時計の概念を取り入れたことを知りましたが、その延長戦上には陰陽道があったんですね。 激しく納得しました。 で、本書では伊勢神宮が「内宮」「外宮」を持つように、他の神社でもニコイチのお社があるのはなぜなのかということを多く取り上げています。 それを陰陽道から読み解いている訳です。 その中でも私が興味を持ったのは、熊野神社と出雲大社の関係について。 熊野神社と言えば、紀伊熊野の熊野本宮大社と熊野速玉大社がニコイチなのですが、これの祖はじつは島根県の出雲大社に近い山奥にある熊野神社なのだそうです。 そして、ここでは出雲大社よりも熊野神社の方が格上のお社であることを論じています。 こちらの説明を読んでいると出雲大社も形無しっという感じ。 実際にそれを証明するような神事が両社で毎年未だに行われているということも紹介されていました。 また、私が俄然興味のある修験道についても書かれていました。 まんま引用します。 日本古来の山岳信仰や磐座咽喉などといった自然崇拝の思想を元に、神道や仏教思想がさらに融合することで「山に入り(山岳信仰)、神と対話をし(神道)、悟りをひらく(仏教)」という修験道独自の世界観と思想が形作られたのです。日本の宗教の要素を全て含む修験道は、ある意味日本における融合宗教の究極の形といえます。(p108)陰陽道のことはさておきの切り取り方になってしまいましたが、あぁ、まさに私が修験道について他者に説明したいと思っていた言葉がここにありました。 そうなのよーーー。 ただその後、行基が朝廷から迫害を受けた時に、彼を護ったのが役行者及びその配下の山伏と記されているのですが、行基が迫害を受けたのは役行者が亡くなった後のこと。 山伏たちが救った可能性はありますが、そこから大仏建立の旗振りに抜擢されたのは、彼を敵に廻したらヤバイ、それよりは彼の持っている人脈や情報を味方に付ける方が得くという聖武天皇の計算によるもの。 彼の持っている人脈や情報に関しては行基が役行者から受け継いだものと私は考えてますけど。 その辺りはおそらく役行者の生年月日と没日の解釈の違いだとは思ってはいます。 それでも、陰陽道から読み解く古代史というのは新鮮でしたし、それによって身近にある下賀茂・上賀茂神社の関係性なども分かり、かなり楽しく読むことができました。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年03月17日 07時00分09秒
コメント(0) | コメントを書く |
|