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かなり脳みそが自然崇拝関係で飽和状態になってきましたので、目先の変わるもので、クールダウンさせています。
その最初が『アートになった猫たち 』。 2017年に開催された全国巡回展「アートになった猫たち展」の出品作を収録した公式書籍が本書なのだそうです。 全国だったら、どこかの時点で私の住まう地域でも開催されていたと思うのですが、その情報には全く引っ掛からず、巡回展の存在をこの本で知ることとなりました。 この本の監修をしている中右瑛さんが冒頭で『吾輩は猫である』のパロディを綴っております。 これがかなり笑えます。 もちろん、この物語のストーリーテラーは猫。 吾輩猫族を、犬族よりも下俗な動物だと、人間界ではそう思っているらしい。慣用語ではもっとひどい。猫糞、猫なで声、猫に小判、猫に真珠、猫に鰹節、猫可愛がり、猫も杓子も、猫の子一匹いない、猫の手も借りたい、猫の尻に才槌、猫のしっぽ、猫にマタタビ、猫舌、猫額、猫背、猫の目、猫足などなど、いい喩えは一つもない。(p6,7) 下俗とは思っていないけど、確かに猫に関する慣用句にはネガティブなものが多いのは間違いないです。 しかし、世界は今や猫様が君臨している時代に変化しつつあります。 夏目漱石が今の動物環境を知ったらどう思うのでしょうか。 本書はほぼ図録ですので、猫三昧なのは間違いないです。 これを1つ1つ眺めていき、心を穏やかにしました。 その中で気が付いたことは、私自身が猫が描かれるものとして、西洋画よりも日本画の方が好みだったということ。 アールヌーボー時代の画家さんが描いた猫、パリの雑誌の表紙を飾った猫、オーストリアの著名な商業画家が描いた猫などなど。 ちょっと自分の中ではしっくりきませんでした。 大好きな猫のはずなのに。 もちろん、日本の画家さんが描いているからと言って、全てが納得できる絵ではないことも事実です。 やはり江戸から明治にかけてのいわゆる「日本画」と言われているものが自分の中では好みなのだなということを確認しました。 好みまでとは言いませんが、それでも浮世絵として描かれている猫様たちには吹き出してしまいます。 このほとんどが、政府に対する反抗心から描かれたものというのですから、驚きですが。 しかしながら、お上への「物申す」方法が、何とも粋だなと感じてしまいます。 まぁこの程度では政府は動かないでしょうが、庶民を巻き込むには大切な表現方法だと感じました。 そのような意味においても、歌川国芳一門は素晴らしい才能を持った絵師集団だったんだなと今更ながらに知ることとなりました。 この書籍はそうは言っても浮世絵がいちばん掲載されています。 どれが自分のいちばんの猫様かなと考えるにはかなりの偏りがあるので、少々無理がありますが、やっぱりこれだけの猫様と戯れると心地よい眠りに入れるのは間違いないようでした。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年03月26日 07時00分08秒
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