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タイトルだけだと思わず「何を目指してるのかーーー」って思われそうな『現代山岳信仰曼陀羅』。
いや、私も手にした時に何を読もうとしているのかと自問自答してしまいました。 内容なんて知りもしないでやみくもに入手しているので(笑)。 本書は、著者が2007年から2020年まで、霊山における「修行」体験を綴ったものです。 いわゆる体験記ですね。 とは言えども、なかなかに読み応えありました。 修行のことだけでなく、それぞれの霊山、修験の背景も丁寧に綴り、私は大峯のことしか知識がなかったのですが、本書によって他の歴史的背景というのを知ることができました。 最初は富士山登拝についてでした。 富士山登拝は「富士講」と言われる民間信仰による「行」ということなのだそうです。 霊山を登拝して修行を行うということを一括りに「修験道」だと思っていたのですが、全てが「修験道」で括られるものではないと本書を読んで知りました。 ただ、この体験記によると、修行のために歩いていたところ、とある場所で「碑伝」を置いていくのですが、それには「神変大菩薩」と書かれていたようで、「修験道やん」と著者は感じたとか。 あちこちで行われている「講」と修験道に対する違いというのは実は私は分かりません。 これは誰が開祖したかというところで異なっていくのでしょうか。 1つこうして知識を増やすことに謎は何倍にもブーメランで帰って来るような感覚に陥ってしまいました。 三大修験の1つ「羽黒修験」についてはこれまで読んだ本よりは詳しく載っていました。 この羽黒山に関しては聖徳太子の時代には開山されていて、その時より修験を行ってきた歴史があるようです。 これは他の著書でも目にした記憶がありますが、これを「古修験道」と区別しているようです。 なんと開山したのは聖徳太子の従兄弟とか。 だとしたら、なぜ修験道の開祖が聖徳太子の従兄弟とならなかったのだろうかという疑問が生まれてきます。 それこそ聖徳太子という後ろ盾を持って「修験道」を全国的に広げることはできたのではないかとつい私は思ってしまいます。 それとも、腹黒(と私が思っている)聖徳太子の策略に飲み込まれてしまったのだろうか……。 ちょっと色々と考えてしまいます。 なぜこのような寒冷地で修験を始めたのだろう……。 ってか、流されてきた???? 大峯修験についても、そして熊野修験のこともきっちりと体験されておりました。 その中で熊野修験のことでかなり好奇心をかきたてられるような記述がありました。 ここではかつて「滝行」が行われていたようです。 それを復興させようとしたのですが、これは口伝であったため、どの場所にどのような滝があったか分からなかったそうです。 そこで、平成に入り、地元の有志と先達が那智大社や青岸渡寺の後援を受け、古文書や絵巻から48の滝を確定させ、実行に移したそうです。 口伝であっても、何かしらに記録が残っていた時代で良かったとしみじみと思いました。 まぁ、しかし、48も滝があったことがそもそもの驚きです。 そこに分け入って、修行をしていた先人たちの思いというのはどうだったのか気になり舞うs。 このような体験記を目にしていると自分もやりたい気持ちが出てきてうずうずとしております。 その最初の一歩だけでもいいから、どこかで体験できるチャンスって出てこないかなーーーと読みながら思ったのでした。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年05月22日 07時00分07秒
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