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八つ岩を後にして、まずは県道38号線を南下。
目指すは天神社。 こちらは仲間内で建物が懸造りではないかという話題となり、私が確認にお参りしてきました。 この天神社にしろ、つぎのお参り先も公共の交通機関というのが皆無で、車でしかお参りできないところで、なかなかその機会がなかったのですが、八つ岩が車とは言いながらも山の奥に入るため、丁度リハビリも兼ねることができ、それと抱き合わせという形をとることができました(どうしても、私の場合は筋肉を鍛えなければならないという医師からの勅命があるので、車でも必ずリハビリできるところをピックアップせねばならぬという指名があるわけです)。 「抱き合わせ」も「ついで」も本当はお参りには使わない方がいい言葉ではあるんですけどね。 集落内にあるという事前情報は得ていたのですが、いやーーー、道が狭いというか駐車場がどこにあるのか分からない(結局お宮のすぐ前にあったのですが、そこには上手く至れず、集落で唯一広くなっている道路の隅に置かせて頂きました)。 が、お宮は立派でした! この画像の奥にある建物が懸造りなのは一目瞭然。 この天神社、とっても由緒正しき(大抵はどこもなのですが)経歴をお持ちのお宮でした。 簡単に言ってしまうと、伊勢神宮に初めて斎宮を出した神社なのだそうです。 ↑こちらが懸造りの建物の正面。 ↓こちらは本殿。 この後、御朱印を管理している氏子さん宅に御朱印を頂きに行き、お話を伺うことができました。 懸造りの建物は拝殿で、かつては本殿にお尻を向けてお参りをするものだったそうです(それが拝殿の正面と記した画像がそれ)。 しかし、それではどうよという話が出て、拝殿を建て替えの時に本殿に頭を下げられるように、張り出し部分を増築したということでした。 それが、懸造りの部分となったという訳です。 40年前の話。 この神社は伊勢神宮とつながりがあるため、伊勢神宮同様に20年ごとに3社を1つずつ建て替えているそうです。 20年に一度1社なので、この拝殿は直近で40年前に建て替えたということ。 それ以前はお尻を向けていたなんて。 ただ、なぜそのようなスタイルだったのかは氏子さんも分からないそうです。 やはり、現地に来て、地元の方にお話を伺わなければこのようなことは表には出てこない事柄ですねーー。 懸造りとなった経緯も分かりかなりすっきり(笑)。 小さな神社ではありますが、なかなかに神宝と思われるものがあります。 その1つが鳥居に掲げられているこの扁額。 空海直筆だとか。 もう1つが、ご神木。 樹齢1500年以上の欅。 次に進みます。 更に38号線を南下。 ただ、次のところは簡単ではありませんでした。 いきなり、38号線を外れるかと思いきや、その外れるところが、クランクで普通車いっぱいいっぱいの地小さな橋。 クランクを曲がるのに、橋の欄干に車をぶつけるかと冷や汗でした。 そこから、ひたすら離合のできない細い道。 いやーーー、まじかーーー。 いや、地図を見てもそのような道であることは予測できてはいました。 しかし、やはり緊張が走ります。 ひたすらギアをセカンドに切り替えてとろとろと車を走らせます。 すると、この細い道のまま集落がでてくるのです。 集落とは言え、ひとつひとつの家はとても立派。 とりあえず、何かあっても、この集落の人が助けてくれるはずと安心材料を見つける私。 しかし、このような道のまま目的地についても車をUターンさせることが出来るのか、駐車場はあるという情報は得ていたけど、その規模は分からずじまい。 丁度、その集落の人が出てきたので、駐車場のことなどを尋ねると「大丈夫」という返事。 ならばと安心して車を更に進めます。 ありました!!!駐車場はかなりのスペースをとっていて、十分にUターンはできるしそこそこの台数を止めることが可能。 ただし、ここまでたどり着かなければ、車はUターンできないというその行程。 この場所は「瀧蔵神社」。 長谷寺の奥之院と言われている場所です。 昨年長谷寺にお参りした時に、ここの存在を知ったのです。 しかも、奥之院にお参りしなければ「片詣り」になってしまうとか。 「片詣り」に関してはそこまで思うことはなかったのですが、やはり「はじまりの地」は大切にしたいところですので、ようやくお参りすることができたと感無量。 ちなみにこの時にはかなり雪が舞ってまして、八つ岩はピストンにして良かったとつくづく思ったのでした(かなりの風も変わらず吹いておりました)。 入口に鐘楼。 その奥に天照大神が祀られた……の下に陰陽石♪ 鳥居と拝殿。 本殿を拝むことはできませんでした。 この拝殿のところに由緒書きがあったので頂いて帰ったのですが、本殿がとっても素晴らしい。 どこからか拝むことができたのかなーーー。 さて、ここで全てが終わりませんでした。 なんと、神仏習合であるという跡がこの鳥居の背後に♪。 ←宝篋印塔跡。 これだけでも、気持ちが高ぶりますが、更に! 弥勒菩薩(摩崖仏・吉野朝時代)と磐座。 実はこの周辺巨石群だったんですよ。 しかも、この磐座でしょ。 自然崇拝があった場所でもあったことが分かります。 これもまた、表ではアナウンスされていない事柄でした。 私が盛り上がらない訳がない(笑)。 細い道に涙しながら、ここまで到達できて良かったーーーーー!!! 実はこれで今回のお散歩は終了しませんでした。 謎にすごい県道38号線。 天神社に向かう前に見つけた天神社の奥宮。 笛吹奥宮というそうです。 恐らく鳥居上の巨石が御神体なのだろうと思います。 そして、更に北上したところにあったのが、 雪が見えないんですけど、雪も降ってて超寒かったので、車の中から撮りました。 磐に「猿田彦命」と彫られています。 いつ、誰がかは全く不明ですが、注連縄がされていますし、明らかに磐座です。 想像以上に巨石信仰の残る天理市及び桜井市でした。 荒天なのに、八つ岩の出来事を鑑みて、明らかに神仏に感謝しかないお散歩でした。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年03月25日 06時36分13秒
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