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「朝に対して命令を下し、暁に対してそのところを指し示し、」
ヨブ記38:12 毎日、当たり前のように朝が来る。と、どこかで思っていた。 でも、その背後で、朝に対して命令を下される方がおられる 地の基を定められ、その大きさを定められ 地に法則を立てられ 稲妻を向こうに行かせて、「私たちはここです」と言わせられる 岩間の野やぎが子を産むときを知っておられ 雌鹿が子を産むのを見守られ、これらがはらんでいる月を数え 子を産むときを知っておられる方・・・ なんということでしょう。 この天地を創造され、その法則を打ち立てられた方が、 岩間の野やぎが、子を産むのを見守られるとは・・。 誰も、何も気がつかないようなところの、野やぎを見守られる神 まして、ひとり子さえも惜しむことなくお与えになったほどに、世(私であり、あなた)を愛してくださた。御子のいのちを内に与えてくださったお方が、御子のいのちを内に宿す、愛する者の日々の必要をかえりみてくださらない事がありえましょうか。ほんの些細なことでさえ、神のみ前に覚えられているのです。 ヨブ記38,39を読み進め、言葉に表せない神への畏れを感じるとともに、愛してくださっている神のまなざしを感じます。 ヨブが 「私はつまらないものです。 あなたになんと口答えできましょう 私はただ手を口にあてるばかりです」ヨブ記40:4 と言った言葉通りです。 しかし、 つまらないものだったのに、御子をお与えくださった ここに希望があり、このいのちに生きることを主は望んでくださっているのだと思います 今私の部屋には、結婚記念日のときに活けたカサブランカと真っ赤なバラが、まだまだきれいに咲いています。なんともいえない香り、その美しさに癒されています 花はなぜ美しいのだろうかと思います。 見た目が美しい?もちろん、その花の見た目の美しさはなんともすばらしいですが、 同じ美しい花であっても、造花には感動がありません。 やはり・・いのち・・なんだとおもいます。 何も思い煩うこともなく、与えられたいのちのままに生きていること、 そう・・思い巡らしているうち ガラテヤ書2:20 「神の御子の信仰によって生きる」(直訳) の御言葉を思い出しました。 神の御子の信仰・・ 父なる神とひとつであるという信仰です。 このお方の中に生かされているだけではない。 このお方とひとつとされたということだと思います 花の美しさに勝る御子のいのちの輝きが、私たちのうちに据えられたのです。 イエス様に栄光がありますように! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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