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母が退院して、約一ヶ月。
立ったり、座ったりと一人でできない状態のまま、過ぎようとしていた。足がはれ,思うように動けない母。 夜中も3時間おきにトイレの介助をする父。 父の負担を考えると、すぐにでも引越しをしたいと思わざるおえなかった。 主人の仕事のこと、主人は優しく、「今の仕事をやめて、実家に行こうか?」と言ってくれるが、義父と一緒に仕事をしているので、とても無理な話である。 息子のこと、今の環境から動けない現状に、自分のなすすべは、ただ主に祈り求めることしかなかった。どう祈っていいのかすらわからず、御名を呼ぶしかありませんでした。 答えが出せない・・そんな悶々としていた時期に、ヨブ記38章~42章までを読み、神が直接自分に向かって語っておられるかのような感覚にとらわれた。 神を信頼しないということは、なんと高慢なのであろう。 そう感じて、悔い改めさせられました。 どんな状況があるとしても、イエスを信じること、ここに立ち続けること・・何も見えない状況のときに、主のいのちに信頼することをさらに示されたように思いました。 次の日曜日、礼拝後、実家の寄った。 そしたら・・・・・ 母が、自分で立ったり、座ったりしているのである。 ??????? 私 「お母さん、大丈夫なの??一人で立てるの?」 母 「うん、もうずいぶん楽になったよ。足の腫れも少し楽になったしね」 父 「土曜の夜、夜中も一人で起きて、トイレに行ったんだよ。」 と嬉しそうに父が話してくれました。 おぼつかない足取りだが、杖を忘れて歩いているぐらいなのである。 もちろん転ばないように、見ていてあげなければいけないのだが、 立ったり座ったりするたびに、父の介助がいらなくて、自分で立てるなんて・・・ 主がこのような私を憐れんで、祈りに答え、母を癒し続けてくださっている主に感謝でいっぱいになりました。 家に帰って早速、主人に、 「イエス様が祈りに答えてくださいましたよ」 と報告しました。 「奇跡だな・・」 本当に驚いた顔で答えてくれたのです。 寝たきりになる確率のほうがずっと大きかったはずの母。 私もどこかで、もう年なのだから・・まして、統合失調症。リハビリの最中も自分の世界に入ってしまい、なかなか進まない現状。回復は難しいとあきらめていた部分が大きかった。 本当に嬉しくて主に感謝でいっぱいになりました。 そんな次の日、息子の卒業式だったのです。 嬉しいこと三昧ですo(*⌒―⌒*)oにこっ♪ 「私はあなたのうわさを耳で聞いていました。 しかし、、今、この目であなたを見ました。それで私は自分をさげすみ、ちりと灰の中で悔い改めます」 ヨブ記42:5,6 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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