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「あなたは、自分が富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸のものであることを知らない。」
黙示録3:17 あなたの光に照らされて とても惨めなわたしがおります あなたの光の下で見えてきたのは 本当に哀れな自分の姿です 貧しさの中で沈み 何も見えず、 裸の者であることが、見えて・・ 主よお言葉の通りです あなたの光に近づくほど 私は自分の汚れを知るしかない者です 光のもとでは すべてがさらけ出されるからです 誰がそれに耐えうるでしょう あなたの圧倒的なご臨在の前に 無に等しい者であることを知るのです ヨブのように 「ああ、わたしはつまらない者です。 あなたになんと口答えできましょう 私はただ手を口に当てるばかりです」 と申し上げるほか何もない者であることを知ります 自分を見るなら絶望よりほかありません しかし、主はこのようにおっしゃいました 「本当に豊かになるために、火でもって精錬された黄金を私から買うように、 そして、お前の恥ずかしい裸の様が人目に晒されることのないように着物を身に着けるために、白い着物を買うように。またお前の目が見えるようになるために、お前の目に塗り込むための目薬も買うように。」 黙示録3:18 ここを読むとき いつも不思議な思いになるのです 主は本当に豊かになるために・・私から買え・・とおっしゃっているのです 買うとは何かの代価を払うことを意味しています ここに語られた御言葉は、すでに救いを受けた諸教会への言葉なのです。 これは救いとは別に考えなければなりません。 神の子として本当に豊かなものになるためには・・イエスから買う・・ことが求められているのです。 代価を払うということ これは何か自分ががんばった・・という代価ではありません これだけ自分は功績を残した・・という代価ではありません 何かの行いの代価ではありません 神の前に、代価とは何を表しているでしょう 神に受け入れられる代価は 十字架の死 まことのいのちは この十字架の死を経たものであり、まことの豊かさは復活の中にあるいのちなのです 「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」 ガラテヤ2:20 キリストとともに十字架につけられました。このお言葉を、イエスとともにある日常生活に適用していくことです。 「もし私たちがキリストとともに死んだのであれば、キリストとともに生きることにもなる、と信じます。 」 ローマ6:8 死・ん・だ・の・で・あ・れ・ば・キリストとともに生きる・・と書いてあるからです 「勝利する者、私はその者に私と並んで私の王座に座る権利を授けよう。私もまた同じように、勝利して、私の父と並んで彼の王座に座ったのだ。 聞く耳あるものは、霊が諸教会に告げることを聞け。」 黙示録3:21,22 イエスはどこで勝利を取られたのでしょう。 十字架の上です 勝利する者とは、まさに、キリストが十字架の上で勝利されたように 自らキリストとともに十字架につけられてしまったことを、信仰によって自らの生活、生きている場に適応するという代価を通して、キリストの勝利に預かるのです お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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