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「松本サリン事件被害者の河野義行さんの妻澄子さんが5日、亡くなった。事件発生から14年。澄子さんは事件の後遺症で意識が戻らないままだったが、容疑者扱いを受ける苦難を乗り越えてきた河野さんは「家族のために生きてくれた」との談話を公表した。 YAHOOニュースより。 河野さんの著書「命あるかぎりー松本サリン事件を超えて」 はぜひ読んでみたいと思う。 「家族を支えているのはあなた(妻)だよ。子供や世の中の人もあなたの存在に励まさされているんだよ」 献身的に奥様を介護をする姿が、テレビでも放映されていました。 「あなたにとってはただ寝ているだけかもしれないが、あなたに支えられている」、と奥さんに語る姿に深い感動を覚えました。
サンダーシングの言葉を思い出します。
「苦難やトラブルは人の負わなくてはならない十字架だが、それを負うことによって、生命と数知れぬ祝福がくる。鳥が翼を運び翼が鳥を運ぶように、喜んで十字架を負う者は、負う十字架によって自ら上げられ、安全に運ばれ、ついには最終目的地に辿り着く。 こうした苦難の中には、家族の義務も含まれると見る必要がある。人によってはこのことを理解せず、それを重荷や障壁としか見ない者もいる。フォリノのアンジェラは、母と夫、子供の死を「一人喜んだ」というが、これは家族を「神の道の大きな妨げ」と考えていたからである。しかし、すべてこのような務めを自己犠牲の精神を持って果たしてゆくことは、祈りと断食、不眠の行に時を過ごすと同じほどに聖旨に適ったことなのである。 われわれは人を助けることによって自分を助け、魂の中に驚くべき満ちたりを見る。この事実は、人と人とが密につながりあっていること、どのような進歩も助け合いと奉仕に基礎をおくものであることを明らかにする。これを存在そのもののルールと見てよいだろう。人が自己中心的になり、このルールに背いて行動すれば、自他ともに人生の喜びを感じなくなり、自己の利益の戦いを通して互いを滅ぼすことになるからである。 このような奉仕の原理を実生活の黄金律ととらえ、「愛の中で仕えあう」ようにしたい。自我の否定がなければ、神に仕えることはできない。そして、われわれは何よりもまず、キリストとの生活を密かに生き、主の足元に座り、愛の教えに学ぶべきそこから出て行き、自分を愛するように人を愛し、人に使えるのだ。人はそのときのみ、神の意思と目的を全うするのである。」
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