カテゴリ:コーリー・テン・ブーム
神様がわたしたちに答えを下さらないときは、信仰の厳しい試練のときかもしれない。けれども聖書を学ぶにつれて神様は決して間違いをなさるお方ではないことを理解できるようになる。そして天国ではすべてが分かるだろう。
人生は 神とわたしの間で織り成される織物 色を選ぶのは私ではない 神がたゆみなく働かれる 時折神は悲しみを織り込まれるが 愚かなプライドのうちにいる私は 忘れている 神は表側を 私は裏側を見ていることを
そのとき私は姉のベッツィーのために祈っていた。彼女は重病で入院していた.バラックの不潔な寝棚でも労働の時も、昼も夜もベッツィーと一緒にいられるのは喜びでありなぐさめであった。だが、今彼女はみずぼらしい病院に入っている。彼女を愛する友人たちと私は、彼女の癒しのために主に祈った。けれども点呼の後、私が病院に戻って窓をのぞいた時には、彼女はすでに亡くなっていた。私の人生で最も暗黒のときだった。 私にはなぜ神様がいのりに答えてくださらなかったのか理解できなかった。 数日後、私は列の外に呼ばれ、釈放されることを聞かされた。事務所を通って出て行かなければならなかったが、そこの人たちには姉の死が知らされていないようだったので、尋ねてみた。 「姉はどうなるのでしょう?」ベッツィーがまだ生きていたらどうなったか知りたかったからだ。彼らはいった。 「お前の姉はここにいなければならない。戦争が続く限りな。」 「私のここに残っていてはいけないのですか?」 「だめだ。直ちに出て行くんだ!」 私は祈りが答えられなかったことを感謝し、主を褒め称えた。もしも姉が癒されて一人地獄でラヴェンスブルックに残らなければならなかったとしたら、一体どうなっていただろう。それに私はたとえ故郷に戻っても、姉の苦しみを思い夜も昼も拷問のような苦しみを味わうことになっただろう。私は刺繍を神様の側から見たのである。
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最終更新日
2009年06月18日 11時43分11秒
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