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hikaliの部屋

November 6, 2006
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 ゲームブックを書きながら、物語をバラバラに分解する研究を続けていて、さまざまに思うことが積みあがった。
 それを書き始めるのはちょっと時期尚早だが、物語解析理論に従って行う、様々な物語の実装方法がある可能性に気付き初めて、おもしろくなってくる。
(というか、もうユーザの判断を伴うので、物語ではなくゲームの分類になるが)
 これを話すと無限に話が続いていくので、そのうちにすることにするが、この作業の中で、考え始めると膨大に広大な世界に影響が広まってしまう気づきがあったので、こちらを話そう。
 そう、支配と統治の話である。

 わたしが暇を見て書いているゲームブックのほぼ全体像が見えてきて、俯瞰して、
「こんな、色気もアクションも、少なくともエンターテイメント的な物がなにもない話は面白いのだろうか?」
 と不安に思ったことが発端だ。
 もう、200枚以上も書いているモノは、バランスは一応考えているのだが、とにかく、エンターテイメントの要素がまるでない。
 数週間の大きい方の時間をかけているのだから、これは面白いか、の疑問は、結構根元的である。

 わたしは昔、PBM(プレイ・バイ・メール(手紙で行うRPGみたいなの))でマスターをしていた。お客がいなかった訳ではないし、ファンもいたので、「面白い」の基準は分かっているつもりである。
 多くの人に教わりもしたし、お客さんの反応も直に掴んでいる。
 しかし、圧倒的に違うのは、暴力とセックスがあちこちに散らばっていたことだ(注:かなり過激気味に言っている)。
 それは上の指導もあったのだが、物語に参加する人々がそれを望むのだから仕方ない。
 かわいい女の子も出すし、凶暴な敵も出す。
 しかし、それが自分的に大切だったかというと、そうではなかった。
 今、自由に原稿用紙を与えられて、好きなだけ暴力とセックスにふけってもいいよと言われてわたしは、それを楽しめないだろうし、ほとんど多くの作家もそうであろう。
 PBM時代に戻り、じゃあ、物語で主張したいことがあるのかと言うと、それも違う。
 何か書きたいことがあるのではと言われても、違う。
 わかったよ、じゃあ、なんで、あなたは好んでこんなつらい仕事をして、毎週200枚も書いて、血反吐を吐きながら、その仕事を続けるのか、と言われて、はたと気付く。
 なぜだろう?
 それはすぐに、溢れるのを止められない無限の喜びと、歓喜の念と、一生でも続けられるぞという自信と、そしてにやけた顔が現れて、即座にこう言う。
 ──みんなと一緒に物語を作るのが大好きなんだ!
 時代を経て、冷静に物事を振り返って、法律の解釈をしながらクールダウンした視点で振り返ってみると、ずいぶん奇怪な感想だったと気づく。
 奇怪なのだろうか?
 疑問を感じたそのとき、支配と統治のコトバが舞い降りて、わたしは瞬間的に理解が出来た。
 おそらく何年かに一度の発見で、心がぐらぐらとぐらつく。
 こんなにぐらつき、動揺し、そして心の底からの歓喜の声が聞こえてくることも、ほとんど経験がない。
 そうだ!
 わたしは支配なんかしたくない、金輪際ごめんだ、そんなことなら自殺した方がいい、こんな無益な事はない、わたしに支配欲はまるでない、いやなんだ、そんなこと、どんなに金を積まれてやらないぞ!
 でも、統治はどうだろう。

 先に説明したPBMというのは、だいたい100人ぐらいのプレイヤーが参加する。
 毎月1回アクションと呼ばれるB5版の行動希望が送られてきて(だいたい、細かい字でぎっしり書かれている)、それを一週間ぐらいでリアクションと呼ばれる原稿用紙200枚ぐらいのストーリーにまとめて返送する、という物である。
 マスターは、事前にシナリオを作って、会議で承認されてからプレイスタートとなるが、このシナリオという物が諸論あって悩ましい。
 まず前提として、主役は、ユーザである。
 もちろん、物語として、事前に品質が保証されないといけない(商売なので)。
 しかし、どんな主役がやってくるのか分からないのに、物語がかけるのだろうか?
 悩ましい。
 上層部の見解は、
「シナリオとは、ストーリーを作るための材料のようなもの」
 との事で、これ以上の見解は諸論に分かれるので踏み込むのはやめるが、悩んだあげくに徐々に形成されていったのが、物語解析の諸理論である。
 うーん、正確でない。
 正確には、物語解析の諸理論を実践し、発展させ、軌道修正するために仕事をしていて(つまりそれ以前にTRPGで理論構築していた。しかしこれがそもそもの動機だった)、これまで書いている物語解析は、この当時に作った理論から、動的な部分(つまりユーザが好き勝手に動く)を排除し、静的な物語を仕事の材料に使うために研究し始めた物をまとめたもの、という事になる。<すごいわかりにくいですね。
 だから、あれは、ゲームシナリオ論が原型。
 しかし、わかりにくすぎるから、動的な部分を一切排除した、のである。
 長々と話したが、やっと本質的なコトバが出てくる。
 つまり、もともと、物語を統治するための理論だった、と。

 物語解析には、物語を支配するための方法論というのは、実は脆弱である。
 各構成要素は、好き勝手に動くことを許されているし、文脈や作家の意志などという物が存在しなくても、物語は存在できる。
 かなり多くのユーザが参加しても、物語は確固たる意志を持つし、その意志は、作り手たるシナリオライターの手を外れても微動だにせず、その自由自在に動く各構成要素の組み合わせさえ維持されれば、品質は保証される。
 全く縛らずとも物語的価値は保証される。
 逆にユーザが自由な発想でさまざまな物を物語に提供してくれるので、物語は自由に発展し、その意志の元に、エネルギーの最大化をはかっていく。
 物語解析的なシナリオは、束縛を嫌い、自由なエネルギーを欲している。
 だから、そのシナリオは特定の誰かの支配を望まない。
 それが書き手であろうが、望まない。
 もともと支配することを放棄した理論であるのだ。
 だから書き手の好き勝手にはならない。
 参加する誰もが好き勝手な発想で参加できる。
 しかし、それでは無政府状態になってストーリーにならない。
 そこで、その崩壊を防ぐための何かが必要になる。
 物語解析は、その崩壊を防ぎ、エネルギーの最大化をはかるための手法を詰め込めるだけ詰め込んだ、物語の統治論であるのだ。
 統治はするが、支配はせず。
 わたしは、その統治がたまらなく楽しかったのだ。

 しかし、その統治論の過程で、物語を要素に分解するというアイデアが生まれる。
 これが映画のような大型のエンターテイメント作品では、実は強力な分析手段になることが分かる。
 これが文学作品となるととたん力を失う。
(注:シエイクスピアは、発生過程からして、文学ではない。娯楽である。ただ、その娯楽に500年分のノーベル文学者が束になってかかってもかなわないだけである)
 なぜなら、そこには支配者がいるから。
 物語のエネルギーなんてそっちのけで、自分の好きなことを勝手に書く、支配者が。
 支配下の物語においては支配者の意に添わない要素は徹底排除され、支配者へのイエスマンしか残らないが、統治下においては異端者は歓迎され、ともに物語を作り上げる参加者となる。
 エネルギーの大きな異端者は支配下においては不穏分子だが、統治下においては取り込むべき新たな課題となる。そして支配下においては排除の成功は勝利だが、統治下では致命的な敗北であり、統治力の欠如の露呈である。
 結果として支配的であればあるほど最大公約数に近づき、統治的であれば最小公倍数に近づく。
 この支配と統治の歴然とした違いは現代の重大な秘密で、その秘密を手にした者が、大きく成功していく。
 そう、たとえば、グーグルのように。

 PBMにおいて、もっとも大切にされるのはユーザである(当然)。
 しかし、全員の満足度が最大化される大成功に近づくための重要要素の半分以上は、マスターとシナリオであるとわたしは経験則上、思っている。
 当然ではあるがユーザは我が儘なことが許される素人であり、マスターはまずプロであることが要求され、長い時間をかけて練り上げられるのがシナリオであるからだ。不特定多数のユーザに品質責任は当然要求されず、その品質のコントロールをどこでするかと言えば、マスターとシナリオ以外にない。
 文章として物語を固定するのはマスターだ。
 わたしは物語のエネルギーを最大化するために、あまり好きでない内容の文章を恐ろしい量書かなくてはならないが、少なくともユーザにおもしろいと言ってもらえるレベルには、自分の「好きなこと」を押さえ込み、ユーザに受け入れられなくてはならない。
 お客様は神様であるから、マスターは支配者たり得ない。
 もし支配者になってしまえばすぐに捨てられる。ユーザだって好き勝手に自分の欲望をぶつけてくるから、その交通整理をし、他のプレイヤーが他のプレイヤーに不快感を与えることを、全力持って阻止しなければならないし、そのために、物語上は神に等しい権限を与えられる。
 これを、物語上の統治権と仮に呼ぼう。

 わたしは血の滲むような努力をして、物語を統治する。
 しかし、適正な統治とシナリオさえあれば、プラスマイナスゼロだった各要素は一定の方向性を自然に帯びるようになり、0から膨大なエネルギーが生じ始め、物語は予想外で波瀾万丈な展開の連続となる。
 何のためらいもなく臨界値を越えていく。
 これはわたしの手に出来た血豆よりもわたしを夢中にする。
 たった4回のゲームが、起承転結が無制限に存在するように感じる。
 麻薬なんていらないぐらい、ドーパミンが出っぱなしになる。
(しかし、たばこは必要だ)
 一人の作家なんて哀れな支配者だ。
 こんな面白い事を知らない人間がこの世にいること自体が哀れむべき事であるが、おそらく経験者は日本全国で数千もいないのではないか。
 完璧に統治されたストーリーゲーム以上に面白い物はない。
 しかし、このストーリーゲームを、プロジェクトとか、会社とか、国家とか読み替えてみると、案外結構たくさん経験者がいそうである。
 わたしはローマ史に詳しいからすぐそこへ飛ぶのだが、アウグストゥスは優れた統治者だ。個人名を挙げ始めようとすれば無制限に行くので避けるが、ローマ帝国の共和政から帝政に移行した、もしくは帝政が上手く行っていた時代の政治は、支配ではなく統治されていたのではないか。
 統治はほんのわずかの油断で、誰も気づかないうちに、本人さえも気付かぬうちに支配に変わる。
 統治者でさえ頑として望まないのに、それは変質してしまう。
 ローマ帝国皇帝はこの変質にアレルギー体質かと思えるほど過敏であった。
 ティベリウスがかなりイイ例なのは、知っている人は激しく同意してくれるはずだ。
 必死に抵抗するが、しかし、ついに疲れ果ててしまう。
 この二つの歴然とした、そして致命的な差が、国家を、そして会社組織の命運を握る。自分は統治しているつもりでも、部下が支配しているかもしれない。じわじわと進行する疫病のように、統治から支配の病原体は、指数関数的に増殖する。
 その損害は明記した。
 最小公倍数から、最大公約数への転落である。
 存在する要素が多ければ多いほど、被るダメージは大きい。
 ローマ帝国も滅亡するはずである。

 こんな風に書きながらも、
「ゲームブック書くのつらいなあ」
「あー、php書かなきゃあ・・・」
「次の実装システムは、開発がつらそうだ」
 などと、不満だらけに日々を送る。
 しかし、この文章を書きながら発見した膨大なエネルギーの熱さに触れ、こんなにたくさんあったんだと我ながら驚く。
 法律は、あうかもと思いながら、いつか猛烈に好きになる日を待ち、我慢しながら勉強している。

 物語は、たぶん大丈夫。
 これだけ好きならば。
 こんなに好きだった。






Last updated  November 7, 2006 12:25:38 AM
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まなかなまなかな@ Re: 三井アウトレットパーク入間へ行ってきた。(01/18) 蘊蓄野郎だな!うざい。
松本智津夫@ 松本智津夫さん 検索ランキング 1位 イシク湖  猛毒…

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