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いつの頃からか、たぶんファミコン全盛期のころだと思うのだが、ファミコンの優秀なプレイヤーを軍事利用するというフィクションを見たことがある。
ファミコン大会が開かれ、その優秀者が軍のヘリコプターを遠隔で操作する。 今にしてみれば、なるほど、米軍の無人機などはそうじゃないかと思えてしまうのだが、当時はその発想が斬新だった気がする。 あー、そうか、ゲームはいつか現実に組み込まれるのか、わたしはそう思った。 小学生のわたしには、ありそうな未来に見えた。 しかし、どうも、状況は逆のようである。 これに気付くのはしばらく時間がかかったのだけど、どうも事実のようだ。 考えてみれば、至極当然な帰結であって、なにも化け物じみた事実は一つもない。 ゲームが現実を組み伏せる。 というか、シミュレーションが現実の前に存在するという、当たり前のことなのだが、これを説明するのは難しい。しかも、これは誰も語っていないことだから、説明のしように困る。 wccfというゲームがあって、これはサッカーのゲームである。 正確には、ワールド・クラブ・チャンピオン・フットボールであり、セガから出ている業務用のサッカーゲームである。ゲームセンター配置される大型のゲーム機であり、人気を博している。 このゲームは、監督となってクラブを率いるというもので、欧州リーグの選手たちがカードとして配布される。そのカードを盤面に配置すると、それに従ってゲーム中のサッカーゲームが展開されるという内容である。 わたしはこのゲーム機の出始めの頃から、wccfに親しんだ筋であるが、持っている選手カードの特性に合わせてフォーメーションを考えたり、連携を考えたり、自分の好きな選手をひいきしたりして、このゲームに多くのお金をつぎ込んだ。 このゲームは、非常にタイトなバランスをしていて、カードを置く位置が5ミリ違うと、全く違う結果になったりした。 たとえばアルメイダとサネッティーというすさまじくマニアックなダブルボランチを組んだのだが、本来であれば中盤の底で、完璧な仕事をしてくれるこの二人も、ちょっとでもその間隔がずれると、その中央を抜かれてしまう。 わたしのチームはボランチの構成がかなり異質なチームだったので、ここが抜かれてしまうと、あとは相手の成すがままにゴールを許すことになる。反対にここで攻撃を止めれば、そこから、こちらの攻撃が始まる。トッティーの出番だ。 わたしは、守備の仕方は完全にそのゲームで体得したのだけど、どうしても攻撃の仕方が分からなかった。能力の強いカードを配置し、エースストライカーを配する。それでも、このゲームでは容易に点を取ることができず、かなり悩んだ。 そこで、わたしは、サッカー誌を買い漁り、ヨーロッパのチームがどういうフォーメーションをしており、どんな選手が活躍しているのかを調べるようになった。わたしがよく買ったのはカルチョというイタリアサッカーリーグ、セリエAの雑誌である。 そこには最新のサッカー事情が書かれ、そしてかなり精密なフォーメーション分析、そして各選手の丁寧なインタビューが何十ページにも渡って掲載されていた。 いまだに全盛期がいつなのか分からないほどの活躍を続けるカカなどは毎月のようにインタビューが掲載されていた。 わたしは夢中になった。 わたしにとってカカは、カズよりも近しい存在である。 そして、わたしはカカのカードが欲しくて欲しくてしかたなかった。 もちろん、大活躍をしていたトッティーも大好きだったのだけど。 しかし、それを続けるうち、わたしはヨーロッパのサッカー選手をほとんど覚えてしまったのである。 たとえば、最優秀なディフェンダーは誰かといわれれば、カンナバーロとネスタを挙げるだろう。なんたって彼らはDF能力が20(このゲームでの最高の能力)だ。スタムは19、サムエルが18。 わたしは、テュラムも好きだ。 彼はDFが18もあって、それでいてスピードが16もある。 理想的なサイドバックだ。 ネドベド、シェフチェンコ、ザンブロッタ。 わたしのチームを彩った選手の枚挙は尽きない。 この前のクラブワールドカップも、ACミランの選手は全部、そらで挙げられるほどだった。ジラルディーノ、インザーギ、セードルフ、カカ、アンブロジーニ、ピルロ、ガットゥーゾ、ヤンクロスキー、ネスタ、カラーゼ、オッド。 いつの間にシミッチはセンターDFから落ちたんだろと思うほど。 わたしは、どれほどジラルディーノのインタビューを読んだだろう? カカは毎月のように読んだ。 わたしがファンである浦和はともかく、今季優勝した鹿島は全選手を挙げる自信はまったくない。 そして、このわたしが読んでいたカルチョという雑誌は、実はセガが作っている雑誌だったのだ。イタリアの著名な週間雑誌スポルティーボと協力して、日本のwccfオタクのために作られた雑誌だったのだ。 これに気付いたときの衝撃は、なかなか言葉にしにくい。 気付くと、日本の欧州サッカー雑誌はセガからなんらかの広告料を受けて、wccfオタク向けに編集されていた。 詳細なフォーメーション、各選手のインタビュー、すばらしいクラブのドラマ。 中でも忘れられないのは、インテルのモラッティーオーナーの記事である。 イタリアクラブのオーナーとは何かを見事にえぐった記事だった。 これは衝撃を受けた。 タイトルは今でも憶えている。 1000の資金、100の選手、10のシーズン、1のタイトル。 (資金がどういう単位だったかは忘れた) インテルが10年間つぎ込んできた厖大な労力を費やして、ようやっとコッパイタリアカップというマイナーなタイトルを取れたという、そのファンとオーナーの姿を書いた話だ。 現在、インテルはセリエA最強のクラブとして君臨しているし、最高の選手を擁していることは疑う余地がないのだが、この記事は、そのどん底で書かれた記事だった。 わたしは、ここで、振り返るのだ。 わたしにとってサッカーとはなんだろう? wccfのことなのだろうか? わたしは今でもサッカーがとても好きだし、それは浦和ファンだということもあって、熱心にサッカーを見ている。しかし、わたしの源流を振り返れば、わたしにとってサッカーはwccfから始まったのだ。 そして日本のサッカー誌はwccfを中心に回っている。 (ここで、マネーボールを想起する人はあるだろうが、その話は、それを想起した人々に託すことにしよう) それだけではない。 これは日本だけで起こっている事象である。 しかし、カルチョにはイタリアサッカー選手のあいだで、日本のゲームが根付いていることを知りびっくりする。これは、ウイニング・イレブンというコナミのゲームなのだが、セリエAの選手は、これをよくやるらしい。 合宿中はプレイステーションをやっていたよ、などという言葉がフランクに出てくるのだが、これはウイニング・イレブンのことをさす。 トッティーが、サッカーゲームをしているのである。 これは何かとしばらく考えていたことがあったのだが、たぶん、イメージトレーニングの一種だと気付いて納得した。 たとえばトッティーはフォワードなのだが、彼はディフェンダーをプレーしたことはたぶんない。そうするとディフェンダーの経験が全く乏しいことになるのだが、ゲームでプレイすることは可能だ。 もし、現実にディフェンダーを体験したいとすれば、とても多大なコストが掛かる。 そこで、トッティーはウィニング・イレブンでその仮想体験をするのである。 一見遊んでいるように見えるのだが、これはイメージトレーニングなのだ。 そして、それに使われているのはゲームなのである。 昨今、PS3になり、グランツーリスモが実際の自動車会社の設計図データをもらってモデリングしているという話を聞く。シム・シティSocietiesのスポンサーが石油会社だとびびる。 いつの間にかゲームは優秀な、ある概念を伝える媒体となってしまった。 たとえばサッカーの面白さを伝える媒体にwccfがなったように、そして、wccfが日本のヨーロッパサッカーの認識を占拠してしまったように。 この流れに誰も気付いていないのはなぜだろう? ちなみに、ニコニコ動画はなにも変えてない。 Youtubeもね。 wccfはサッカーを支配してしまっているのだ。 これが不思議だ。 有り得ない夢を見るのがゲームの特権だった気がする。 でも今は現実を伝える、道具になりつつあると思い、納得するのだ。 シリアスゲームなどとのたまう暇があれば、wccfにはまってみてはどうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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