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育てているのは未来です

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2020.09.13
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カテゴリ:未分類
団塊の世代の高齢化もあって、断舎利という言葉を頻繁に聞くようになりました。言葉は、ヨーガの行法である断行(だんぎょう)・捨行(しゃぎょう)・離行(りぎょう)から来ていて、不要な物の侵入を断つ、不要なものを捨てる、物への執着から離れるということで、単に身辺の片付けをすることとは違うのだそうです。物には社会や人間関係も含まれるそうですから、生きている間に真の断舎利をするのはかなり難しいことです。
 もう随分前から意識はしているのですが、なかなか身辺の整理が出来ません。日々、いろんな書類が来ますから「あとで」と思ってどこかに置くと、要不要を判断する前に次の書類がその上に重なっていきます。現役で仕事をしているというのもありますが、それとは無関係な金融機関からのお知らせやDM、公的年金や健保、医療費関係の書類もつぎつぎ届きます。中には手続きが必要な物もそこそこあって、この国の年寄りは死ぬか認知能力がなくなるまで書類に追い回されることを実感します。
 
 なかなか捨てられないものの中に、会葬のお礼状があります。近頃は葬儀社が用意した例文そのままではなく、ご家族が故人を偲びながら心を込めて書いたものが多く、亡くなった方やそのご家族を知るものにとっては何度読み返しても胸のつまる思いがします。
 片付けていた引き出しの中から、一年前の京都の事件で亡くなった娘への会葬お礼状が出てきました。これを書いたであろう父親を、まだ幼稚園の頃から知っています。一字一字読み返した後、また引き出しにしまい込みました。私の断舎利は、まだまだ終わりそうにありません。





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最終更新日  2020.09.13 21:06:34
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