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カテゴリ:多重介護
その日、日曜日の催しが終わってほっとしていた私は、
たまたま、翌日の水曜日に旦那が出かける時間帯が早朝から深夜に及ぶ予定だったために
大叔母を尋ねるかどうか迷いながら、大叔母の病院関連の支払いを、していました。
翌日に行ったときに支払えば良いんだけどな・・と思いながら、気持ちはサボりたいほうへ傾いていたのです。
ちょっと休みたいモード、でした。

その日、夕方から、旦那の仕事仲間の人たちと甲子園に阪神ー横浜戦を見に行く予定にして楽しみにもしていたので
その次の日は、応援での疲労を癒し最終戦を楽しみたいような・・・(笑)

逝去の知らせを受けて、それどころではなくなり、旦那は1人で友人と甲子園に向かいました。
翌日、翌々日と、休めない仕事の入っていた旦那を、葬儀に連れて行くことは最初から想定していませんでした。
元気なころに、実家に遊びに来ていた大叔母とは、旦那も面識があり、悪い印象は持っていない様子でしたので、
今回の葬儀に関して私が家をあけることに、ブーイングは出ませんでした。

逝去の知らせは病院から弟にも直接入っており、
たまたま、先週まで出張続きだった弟が、今週は勤務地での仕事の予定で、融通が利く状態におり、知らせを聞いた直後、弟は会社を出て、大叔母の病院へ向かいつつ、私に連絡を入れてくれました。

すぐに出たとはいえ、弟の会社から、病院まで、おおよそ4時間の道のり
病院到着は、午後8時過ぎの予定でした。

弟が病院に向かってくれている間に、菩提寺に連絡を取り、葬儀社をきめ、葬儀の段取りや業者との交渉を始めました。

当日は、親族が到着するのがすでに8時を越える事、私自身も深夜の到着になることなどから
翌日の朝10時に、臨終の枕経をいただき、6時から通夜、翌々日の朝10時から葬儀、と、最短日程を組みました。

二泊家を空ける。
その間の旦那の仕事用品の準備もあり、あれこれ整えつつ、業者との大まかな交渉もし、
親戚関係への連絡は、伯母に頼み、夕暮れを迎えるころに、家を出ました。

伯母は、目の離せない従姉と暮らしているので、かねてから大叔母の葬儀にはいけないと思うと、言っていたのですが、
たまたま、普段連絡の取れない従姉の元亭主が、従姉を歯医者に連れて行きたく、立ち寄っており、
たまたま、7日の朝まで、従姉に付き添うことが可能、と言うことがわかりました。

伯母も、葬儀に行こう!と言うことになりました。
伯母は、先代本家長女。私は現本家(父)の長女。
伯母が一緒に葬儀会場にいてくれることで、遠縁の方たちとの対応が頼める、と言う頼もしさがありました。
私の車で、一緒に異動することにして、伯母を迎えに行き、伯母宅を出発したのは8時前でした。

そのころには弟が病院に到着し、大叔母の遺体を、葬儀社の会館に移動すべく、手続きに入っていました。
身内が到着しないうちに、遺体を移動する事は出来ないのだそうでした。

弟も何とか仕事の段取りが付く時期、私も大きな催しを終えた直後で動きやすい時期、伯母も頼める人があって家を開けられる。
普段音沙汰無しの弟嫁さんも、万障繰り合わせて駆けつける・・といっても、一番近いワリには、遅いけど・・(^^ゞ

義妹二時間、弟四時間、私五時間の推定移動時間の先に、待っている大叔母です。

高速道路を利用するのですが、先の大雨の被害があって、岩国から玖珂の区間の、山陽道が利用できません、
大叔母の待っている町には、玖珂のインターチェンジから一般道へ入るのが最短距離なのですが、今回は岩国から、一般道へと初めての道を深夜に走ります。

途中、トイレ休憩一回、ガソリン補給一回の、わずかな休憩以外取らない伯母は、ず~~~っとハイテンションで喋りっぱなし(笑)
お蔭様で、心細い思いもせず、喧騒のうちに、到着する事が出来ました。

私たち四人にとっては、都合の付きやすい時期でもありました。

父の次弟夫妻、末弟夫妻・大叔母の妹の家の子供たち・新宅と呼んでいる私の曽祖父の弟の一族、
それぞれ住まいは遠方なのに、皆さん口をそろえて、先週なら、来週の事なら、参列できる予定が組めなかったと仰る忙しさの中、
大叔母との最後のお別れに、ある方は通夜から、ある方は葬儀を、お付き合いくださることになりました。

最悪のときは、私と弟が二人きりで見送らなければならないかもしれないと、思っていたのに、思いがけず、大叔母が生前親しくしていたほとんどの身内が、葬儀には顔をそろえる予定が整いました。
大叔母が呼んでくれた、そう思える心強さの中で、初日、大叔母の枕元に布団を並べて、やすみました。









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Last updated  2005年10月07日 12時42分33秒
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