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カテゴリ:持つべきものは
楽天で日記を書き始め三年前二年前去年・そして今年も、またこの日が来た。

去年までと違うのは、この日の話をする相手の父が、今年からは居ないこと。
同じ体験をした家族が、一人いなくなった。

今日は阪神大震災の日。

規模も事情も違うのだけど、原爆が投下された日、その日に近しい親しい人たちを亡くされた方は
その時間以前に、亡くなった方と語り合うのだと聞いた。
その時間、それは亡くなってしまう時間。
だから、それまでの時間、あの日のあの時間まで、を思い起こすのだそうだ。

夕べも、その時間まで、大切な人を亡くされた深い思いを抱く人たちがそれぞれの思いを抱いて時を過ごしておられたことだろう。

先日、飲酒運転の被害に会い、お子様を三人亡くされたご夫婦の、その裁判の判決がニュースになっていた中で
被害にあわれたお母さんが命は続くものだと、話しておられたことを、印象深く拝見した。

父母の父母がおり、またその父母がいて、そのまた父母がいて、私までつながった命があった。
父は小さいころから病弱だったので、私たちに自分の命が受け継がれていることを、喜んでくれていたと、思う。
私や弟から、その命がつながることを、父はきっと、楽しみにしていただろう。

古い写真に見る一族の顔の中に、私につながるものを見ることも多い。
その人たちから私のところまでつながっていた命が、私のところで終わりになる。

私にはそのことが、人類として生まれてきた私の、かなわなかった汚点のような気がいつもしている。
生物はすべて、その命を伝えるべき使命を持っていると思うから。

子供がいないというのは、そういうことだと思う。
選んでそうなったのなら、それはそういう選択をする理由があっただろう
私はそうではなかった。

そして、震災といえば、あの日はまだ、携帯電話を持っている人は少なく、家の固定電話にはファックスなどの機能がついたため停電になると使えず
連絡をとる手段として公衆電話に長い列が出来たことを思い出す。

今は携帯電話を持っている人が多く、普段、公衆電話を使うことは少ないけれど
以前、携帯電話を持って出るのを忘れて出かけ、出先で電話をかけようとしたら、公衆電話が極端に減っているのを感じた。

数年前のこの日に、帰宅支援マップをオススメする日記を書いているのだが
公衆電話の場所を確認することは大切だ。

さらに、コインでかけられる電話も、減っているのでそれも知っておいたほうが良いとおもう。
カード類がなければかけられない、という公衆電話も多く、
カードの入手がいざというときに間に合わないということも、ありはしないかと気にかかる。

実家はもっとも被害の大きかった被災地の一つに数えられる地域で、復興には時間がかかった。
ファックス機能のついた電話機だったため、停電になっている間実家の電話はつながらず
三日後、大阪へ出て実家用に電源の必要のない電話機を買ったことを思い出す。
そんな用意も、必要かもしれないと、思う次第です。

あの日の朝は寒かった。

その後の災害が夏場に起きたことを考えると、寒かったのはよかったのかとも思ったりする。
食品の傷みが遅く、たとえばお風呂も数日入らなくても、汗をかく季節よりはしのぎやすかったのかもしれない。

あの日の午後、義理家の無事を確かめて一旦帰宅した我が家では、電気はつながっておりテレビが見れた。
実家近くの阪神高速崩壊の映像を見て、居ても立ってもいられず実家に向かう車の中で
両親の無事を祈った。

もう一度会いたい、無事でいて

あれから12年、父が居てくれたことに感謝しよう。
もしかしたらあの日、さようならだったかもしれない地域に、私たちは住んでいる。

13年目にもなると、テレビなどの反応も、当日の朝から、になるみたい。
昨夜遅くまで、何か映像を写さないかと思って、なんとなくチャンネルを回していたけど
もう、そういう映像もなくなった。

当時生まれたばかりの人も中学生になり、今の小学生は震災を知らない子供たちになった。
今年から地元の小学校では、あらためて長く時間をとり、震災体験を語り継いでいくのだという。

命の大切さを感じてもらえるよい機会でもあるので、大切に語り継いでもらいたいな。

と同時に、あの年には直後にオウム事件もあり、サカキバラ事件もあった。

多くの方が、自然の猛威に飲み込まれた直後に、人の命を軽く扱う事件が起きるなんて、とても考えられなかったけど・・・

あの年はそんな年だった。

「あの日亡くなった方に恥ずかしくないように」
また自分にも問いながら、今年もしっかりと地に脚を付けて生きたいものだ。








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Last updated  2008年01月17日 09時03分38秒
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