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カテゴリ:うつ病
退院間際の精神病院での状況です。
4人部屋で過ごしていましたが、 向かいのベッドの人は知的障害者でいつも漢字や足し算、引き算、掛け算を教えてあげていました。退院するときに、私と過ごして人生観が変わったと感動してくれました。退院時に忘れ物をしていたので、追いかけてきてくれて「忘れ物よ!」と知らせてくれました。 隣のベッドの人は最初は何も話さず、通路でぼーっと立ちすくんだり、看護事務所の扉の前でたたずんでいて、てっきり知的障害者と思っていたのですが、OT(作業療法)に療法士が声をかけないと参加していなかったのが、自主的に参加するようになり、次第に手芸のやり方を積極的に作業療法士に聞き、ぬいぐるみやミサンガを作るまでになりました。11時からのラジオ体操も参加するようになり、私との会話もできるようになり、まともに話が出来るようになり、知的障碍者ではなく普通の人だったことが分かりました。通路や看護事務所に立つこともなくなり、外泊の機会も増え、読書を始めました。外泊時には1か所ずつお掃除をして、旦那様に喜ばれ、またすぐ外泊の予約を旦那様がされていました。担当医も驚異的な回復力だ。家庭に理解があれば、退院させたい、薬も変更しようと言い始め、おそらく今は退院していると思います。私の退院日の朝はずっと私のそばから離れず、見送ってくれました。プレゼントに塗り絵をあげました。 斜め向かいのベッドの人は、最初は被害妄想があって、物を盗んだのではないかとか大声をあげてトラブってましたが、それも次第になくなり、最後は小さな庭が開放される日があり、その患者にいっしょに庭に行こうと誘われ、馬酔木の木の葉を触って、楽しく会話ができるまでになりました。 途中、主任から1人部屋が空いてるからどうかと勧められましたが、お金がないから断りましたが、私が4人部屋に留まることで、3人が改善していってくれたことに、貢献できたとうれしく思います。 いっしょに塗り絵をしていた患者さんから、一番良いメンバーに囲まれた部屋でいいねとまで言われるまでになりました。その人にも塗り絵をプレゼントをしたら、喜んで部屋に張ると言ってくれました。 アルコール中毒の人が退院するときにも、塗り絵を退院祝いにプレゼントしたら、大変喜ばれ、自宅の地図や連絡先を書いた紙を渡され、縁をつなぎたいと言われました。ラジオ体操はいっしょにしていましたが、体操がきれいで指導者になったらとすすめられました。うつ病になる直前はラジオ体操の指導員の講習会に参加する予定でした。フラメンコやヒップホップを以前習っており、踊りは得意です。体操でも美意識で腕のあげ方、足の出し方にも気を使ってました。 幻聴、幻覚のある患者さんは毎日早朝と就寝前に30分ずつ、私に会いに来ていましたが、私は途中で会話を遮らず聞き黙っていました。これがいいと分かっていたからです。カウンセラー的になっていました。退院時に塗り絵を渡したら、看護師にも見せたらしく大喜びしていました。ガヤトリー・マントラの唱え方は教えていたので、その文字を書き写し、除霊と浄化の祈りの文章は、外泊時に調べ唱えることがオススメよと教え、去ることにしました。退院後も友達でいてほしいと言われましたが、私の生活に支障がでるので、連絡先は教えませんでした。私はカウンセラーではないのですから。。。 私がいることで、皆が幸せになってくれる。こんなありがたいことはありません。。。 担当の看護師さんは、こんなに普通に会話ができるのに、なぜまだ退院せず精神病院にいるのかとずっと疑問に思っていたと語ってくれました。 もっと早く退院したかったのですが、冬の時期でもあり、実家の母が寒いから帰るなと言われ、春まで待つことになったのです。 お雛祭りのイベントでカラオケを歌ったら、みんなに上手だねと喜ばれました。 通路の掲示板に塗り絵を張ってもらったら、看護補助さんに癒されるとほめてもらい、他の患者からはカラーコーディネーターになるか、化粧師さんになったらとすすめられました。 東洋医学セミナーの体癖は4種だったので、芸術性があるのですが、家の新築でのカラーではタイルなどのデザインはこだわりたいと思っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.06.25 10:49:51
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