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カフェ・ヒラカワ店主軽薄

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2007.03.17
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カテゴリ:ヒラカワの日常
堀江貴文に対する東京地裁の判決が出た。
ちょうど、進行中の『株式会社という病』が書き終わったときであった。
どうしようかと思ったが、やはり書き加えることにした。
裁判の「空気」に違和感を感じたからである。

(以下抜粋)
本書をあらかた書き終わった二〇〇七年三月十六日、世間を騒がせたライブドア事件の主犯として起訴されていた堀江貴文氏に対する、東京地方裁判所の判決が下った。懲役二年六ヶ月の実刑判決であった。堀江貴文氏の言動に関しては、本書でもすこし触れてはいるが、ここではかれのパーソナリティーやライブドアという会社の性格に関して書く必要もないだろう。

個人的には、私は堀江貴文氏にも、ライブドアにもほとんど何の興味も無いからである。こういったことは、過去にもいくらでもあったし、現在も似たような事案は進行している。私は、ベンチャー企業の経営者たちといくらかの親交があるので、そのことはよく承知しているし、ここには書かないが、様々な詐欺まがいの行為についても、存知上げている。ライブドア事件が、もし他の同様の事案と異なっているとするならば、それは、堀江貴文氏という人間に対する評価が、それ以前と以後では大きく変化したということである。

かれは、グローバル資本主義の時代のヒーローとして持ち上げられ、マスコミに頻繁に登場し、選挙にまで担ぎ出された。多くの市場原理主義的な意見の持ち主は、かれのなかに、フロンティアスピリットを演出してきたのである。そして、多くの「株主」や若者たちもまた、かれを新時代のヒーローとして受け入れたかに見えた。しかし、かれが逮捕されて以後、マスコミの論調は変わり、かれを神輿に担ぎ上げた連中は沈黙し、多くの若者たちもまたかれのもとを去っていった。そして、地裁の判決が下り、マスコミは興奮気味にこの判決を伝え、テレビの前の視聴者もまたこの判決に対しておおかた納得の気持ちを持ったようである。

しかし私は、この度の裁判と、それに対するマスコミや知識人といわれる人びとの反応に対しては、違和感を持たざるを得なかったのである。この章の最後に、この違和感のよってきたるところについて少し触れておきたいと思う。

堀江氏の罪状は、脱法目的で組成した投資ファンドを介在させて売買した自社株の売却収入を、連結決算に違法に計上したこと。計上が認められていない子会社に対する架空売り上げを計上したこと。経常損失が発生していたのに、約五十三億円の粉飾をしたことである。
 また、関連会社「ライブドアマーケティング」が企業買収を発表した際、株式交換比率などについて虚偽の内容を公表し、自社の決算短信で本当は赤字なのに黒字と偽ったことである。

どちらも、自社を実体以上に大きく見せようとした涙ぐましい「犯罪」である。判決が、重いか軽いかは別として、法律上、かれらのやったことが違法行為であるならば、法の下で裁かれるのは止むを得ないことだろう。

しかし、この判決によって何かが解決し、何かが明らかにされたかといえば、大いに疑問だと言わざるを得ないのである。(勿論私は、法に期待をしているのではない。法が出来るのは、ただ法規の内と外の線を引くことだけだと言っているのである。)

裁判長は、判決を言い渡した後で、ハンディキャップのある子どもを持つ母親からの手紙を紹介し始めた。 「大きな夢を持ち、会社を起こし、上場企業までにした被告に対し、あこがれに似た感情を抱いて働く力をもらった。ためたお金でライブドア株を購入して今でも持ち続けている」。これが手紙の文面である。
 マスコミもまた、このコメントを紹介し、さらに多くの損失を蒙った株主たちの意見を報道していた。

論調は、この事件には多くの被害者がおり、堀江氏には、その善意の株主を裏切った「道義的責任」に対しての謝罪がないということへの怒りを伝えたがっているように見えた。
「これは、まずいよ」というのが、私の最初の感想である。これでは、この事件の本質的なものは、何も見えてはこない。いや、そればかりか、この事件の本質は、安易な同義的な責任や、被害者への同情によって隠蔽されるだけではないか、と思ったのである。
この論調は、二つの点でまったく指南力を失っている。

ひとつは、株を買うという行為が、その動機が何であれ、あるいはそれを買ったものが誰であれ、それは自己責任で行うべきことがらであるということが看過されているということである。自己責任とは、例えば戦時下のイラクに入って捕虜になった人に対して投げかける言葉ではなく、こういうときに使う言葉である。株を買うという行為は、その値上がりを期待するということである。

しかし、株は上がることもあれば、下がることもある。勿論、企業が虚偽の申告をして、騙されて株を買うということは、株主にとっては合意の外であるのは判っている。だからこそ、法律で規制しているのである。しかし、だとえ、株式市場の透明性が確保されていなくとも、株を買うということは株主のリスクであると考えるべきだろう。なぜなら、完全に透明な市場などは存在せず、株式市場にはリスクとリターンしかないことは最初から判っていたことである。働かずに利益を得るということの意味はそこにしかないからである。言葉は悪いが、八百長賭博も賭博であることに変わりは無い。もし、このようなリスクを避けたいと思うなら、最初から株式投資などやらなければよいのである。

株式投資をするということは、それが自己責任であるということを前提としているということに他ならない。ライブドアの株を買った人びとは善意の第三者ではない。このあやしげな会社に賭け金を置いて、それが増えて戻ることを期待したはずである。ハンディキャップを負う子どもの母は、どうして「夢は本当は金では買えない」ということを教えようとしなかったのかと、私なら思う。世のハンディとは、そのために合理的な利益を享受できないというような等価交換の価値観がつくる文脈において、ハンディなのであり、それを克服するとは、その文脈自体を変えることではなかったのかと思うのである。

 もう一つの錯誤は、堀江氏個人の道義的責任というもので、この問題を考えていることである。会社の経営者として、堀江氏は自社の現在価値を最大化するには、何をするべきかということを考えていたはずである。それが堀江氏にとっての会社経営の「倫理」であったのだ。

もし、かれに問題があるとすれば、それは現在価値を最大化するために法の抜け道を探そうとしたことではなく、現在価値の最大化だけしか考えていなかったということなのではないだろうか。堀江氏は何度も「株主価値の最大化」ということを言っていたはずである。それが、株主にとっても、堀江氏自身にとっても大きな利益につながるからである。

しかし、会社価値と株主価値は違うものである。多くの経営者は、時価総額と会社価値が違うものであることを知っている。それをここで繰り返す必要はないだろう。ただ、株主資本主義の論理の中では、試算表に記載されない見えない価値を含む本来の会社価値ではなく、会社の現在の時価総額をこそ会社価値として考えようとする。それが、判りやすく、透明で、合理的であるという理由によって。そして、その圧力を作っているのは、今回被害を受けたものも含めて株主そのものであり、その意味では経営者に対して現在価値の最大化をせよと圧力をかけることに加担しているわけである。

 このシステムが病んでいるということに関しては、ここまで縷々書いてきた。病んでいることそれ自体は、別に悪いことではないと私は思っている。病こそ成長の原動力だからである。ただ、病の自覚のないところで、一方を加害者、一方を被害者というように振り分けることは、ただ病だけを昂進させるだけであると言いたいのである。

 堀江氏がライブドアをつくり、法律すれすれのところで資産を増やしてゆくことに対して、私は別にとやかく言いたいわけではない。それは堀江氏の自由であるし、またいつの時代にも堀江氏のように考えるものはいる。今回の事件に関して、堀江氏自身は悪いことをしたとは思っていないだろう。ただやり方が「まずかった」と思っているのではないだろうか。ある意味で、かれがそう思うことは正しいのだ。かれは株式会社というもの、資本主義というものの持っている病を利用したかもしれないが、病んでいるということと善悪ということはまったく別の次元の話である。

病ゆえに堀江氏は会社を膨張させることができた。かれがそういうことに長けているからといって、資本主義を発展させる時代のヒーローであると持ち上げたり、選挙に担ぎ出したり、あるいは人生訓のようなことを語らせたりしてはいけないのである。お金を増やすことに有能な人間は、それ以外の領域では、ただの盆暗であるに過ぎないと思うべきなのである。

世界は様々な価値観の複合体であり、一つの価値観で世界を説明することなどできない。金が力を発揮するのは、金が万能であるという場所だけである。確かにそういう場所はあるが、それは限定的でそれほど広いわけではない。堀江氏も株主も、「節度」ということの意味が判らなかった。そういうことだと思う。





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最終更新日  2007.03.18 14:29:44
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はじめまして   かつ7416 さん
内田さんのご紹介でやってきました。
それにしても、裁判官はいつから遠山の金さん気取りで道徳を語るようになったのでしょうか。 (2007.03.18 12:19:14)

はじめまして   shoya さん
内田先生のサイト経由で、記事を拝読いたしました。

揚げ足取りのようで恐縮なのですが、

>>裁判長は、判決を言い渡した後で、
>>ハンディキャップのある子どもを持つ母親からの
>>手紙を紹介し始めた

という"説諭"の部分は、現在メディアで紹介されている情報からすると、堀江氏を責めるために出されたものではなく、励ますためのものだと思われます。

ですから、

「論調は、この事件には多くの被害者がおり、堀江氏には、その善意の株主を裏切った『道義的責任』に対しての謝罪がないということへの怒りを伝えたがっているように見えた」

という文章の前に紹介するのは適切ではないのではないかと思いました。 (2007.03.18 18:22:10)

お邪魔します   ジュン さん
裁判長が判決を言い渡した後に被告を諭すことはよくあります。
何の事件だったか…私は判決よりもその裁判官の諭す言葉に胸を打たれた記憶がありまして。 で、今回のその手紙云々も私には違和感は無いんですよ
裁判官はごく素朴な気持ちで採り上げたのではないかと思えます。 騙すような事はするな、と。

でも、自己責任については全く同感です。 株の売買とはリスクを自分で背負ってこそですから。
 
わたし的にはその手紙を書いた母親に違和感を覚えました。
ハンディを負ったお子さんをお持ちなら「夢はお金では買えない」ことを健常児を持つ母親よりずっと身にしみている筈です。 であれば、どうしてこういう人に憧れたりしたのでしょう。
まあ、憧れるのは自由としまして、「株」というのは社長の人柄云々で上がったり下がったりするものではないのでして…。 お気の毒ではありますが、自己責任以外の何ものでもありませんね。  (2007.03.18 19:18:48)

道義的責任の分かりやすさ   pado さん
テレビを見ていると、いろんな『情報』番組でこの問題を扱っていました。気になるのは、タレントさん達が勝手な意見を言っていることです。あの人たちは、問題がなんなのか良く分からずに、しゃべっているだけのように思います。僕も全て分かっているわけではありませんが、そのことを自覚しているつもりです。あの人たちは物知り顔で「やっぱり、あれはやっちゃいけなかったよね」的な発言を繰り返していますよね。テレビの特性もあるのでしょうが、話を分かりやすくするためには、道義的責任論に収斂させなければならないのでしょう。報道ではない『情報』番組の恐ろしさを感じます。日本の知的レベル低下のけん引役ですよね。
例の母親の手紙ですが、たとえ裁判官が励ますために用いたとしても「あなたにはこのような道義的責任があるのですから、一から出直し(て頑張り)なさい」という意味合いもあるのでしょう。この文脈において、怒りを伝えるのか励ますのかは、同じようなことだと思います。どちらも道義的責任に基づいているからです。
ヒラカワさんの文章はいつも分かりやすくて感心します。ちなみに、『安易な同義的責任』は変換ミスですね。すいません、細かいですが…。
(2007.03.18 20:47:07)

ありがとうございました   finito さん
ライブドア事件を通しての平川さんのものの見方に啓蒙されてきました。ビジネスするとはなにか、金や資本主義のありようについて普段なかなか目にしない視点からの指摘を読んで見開かれた思いがしました。ワイドショー的な考え方しか出来なかったのですが自分なりの規矩を持って生きていこうと思います。
この事件は一応の決着をみたようなので。 (2007.03.18 21:55:30)

ストンと腑に落ちて   雪国のTT さん
平川さん、今晩は。今日は一連の報道に私が感じていた違和感をすきっと言葉にしてくださってどうもありがとうございます。ブログを拝読して、なにやらつかえが取れました。
裁判長の説諭に関して、色々な意見が出ていますが、
平川さんが「これは、まずいよ」とお思いになったのはマスコミの報道に対してだと私は理解しました。「論調は」と言うのはその前の文のマスコミの報道と言うのを受けて「マスコミの論調は」と言う意味だと私は思ったのですが。
堀江元社長に関するマスコミ報道は何か根底に「羨ましい」があるような気がしていました。私は私とは立ち位置の違う人だなあと思うのであまり気にしていませんでしたが、多分マスコミはそういう訳にもいかないんでしょうね。
今日のブログで「涙ぐましい」犯罪と言うのが心に残りました。ビジネスの世界の人の言葉ですね。
(2007.03.18 22:34:37)

なんで   でんわ さん
>お金を増やすことに有能な人間は、それ以外の領域では、ただの盆暗であるに過ぎないと思うべき

そう思うべきなんでしょうか。よくわかりません。
あと、自己責任であるからこそ、自己責任の前提である市場、情報の公正さを法が刑罰を持ってしてまで守ろうとしているのです。

>このようなリスクを避けたいと思うなら、最初から株式投資などやらなければよいのである。

これは極論すぎです。そもそもの株式市場がなんで必要なのかを理解されていないように思われる発言です。 (2007.03.18 23:57:56)

こんにちは   pinktiger21 さん
興味深く読ませていただきました。ホリエモンや村上さんをつき動かしたものは何なのか?未だによく分りませんが、私は興味があります。これからの生き方もですね。ブログで少し触れてみたので、よかったら、覗いていってください。
⇒  http://plaza.rakuten.co.jp/ukiuki21/diary/200703200000/

(TBを残していきますので、よろしくお願いいたします) (2007.03.20 10:26:28)

Re:ライブドアの判決(03/17)   ブラジル無情 さん
いつも疑問に思っていることですが、日本では、被告が無罪を主張すると反省がないと刑が重くなることです。
罪を犯した状況に情状酌量するのは理解できますが、裁判中の被告の反省的態度に対し情状酌量は、おかしいじゃねえかという気持です。


この事件、光クラブ事件を思い出しました。
60年間、全然、変わっていない社会に、変わる訳が無いなと納得しています。

後、内田さんのサイトで気がつきましたが、実感しながら、言葉に出来ないことを言葉にするのがインテリジェンスなのだと。変な気持だったのが、両サイトで、すっきりすることが多いです。 (2007.03.21 05:51:30)

はじめまして   みつを さん
TVもあまり見ない僕には、とても勉強になりました。システムが病んでいるとの事ですが、原因は何によるものなのでしょうか?そしてどう変わるべきだとお考えでしょうか? (2007.03.21 11:10:00)

Re:なんで(03/17)-1   mememe さん
でんわさんへ

>>お金を増やすことに有能な人間は、それ以外の領域では、ただの盆暗であるに過ぎないと思うべき

>そう思うべきなんでしょうか。よくわかりません。

この部分に関して、私なりの解釈をすると

「お金を増やすことに有能な人間」は、お金を増やすことが引き起こす事態を想像できていない。
もしくは楽観しているが故に、結果としてお金を増やすという結果を得られやすいのだと。
ゆえに、盆暗とは「言い過ぎ」であるかもしれないが、
重層的で複合的な「お金」の問題について、「お金を増やすことに有能な人間」は、
おそらくは理解と想像力に欠けているのではないか。

こんな感じです。
(2007.03.21 19:59:06)

Re:なんで(03/17)-2   mememe さん
続きです。


>あと、自己責任であるからこそ、自己責任の前提である市場、情報の公正さを法が刑罰を持ってしてまで守ろうとしているのです。

>>このようなリスクを避けたいと思うなら、最初から株式投資などやらなければよいのである。

>これは極論すぎです。そもそもの株式市場がなんで必要なのかを理解されていないように思われる発言です。
-----


この部分に関しての、私なりの解釈はこんな感じ。

平川さんの書かれている
「株式市場にはリスクとリターンしかないことは最初から判っていたことである。
働かずに利益を得るということの意味はそこにしかないからである。」
の部分がポイントになると思います。

働くざる者、食うべからずの原理原則を適応すると、
この場合は、リスクを取ることが「働く」に相当するわけで、
そこに、他者が価値を認めるがゆえに、市場が成り立っているわけです。
投資と呼ぼうが、投機と呼ぼうが、仮にも株式市場に参加する者は、
その原理を知らなかったといっても、それを、
他の市場参加者は許しませんよ。
ということではないかと思います。 (2007.03.21 20:01:35)

Re:なんで(03/17)-3   mememe さん
さらに続きです。



もうひとつ
「完全に透明な市場などは存在せず、」
「言葉は悪いが、八百長賭博も賭博であることに変わりは無い。」
は、こんな風に私には読みとれます。

「市場、情報の公正さを法が刑罰を持ってしてまで守ろう」というのは、
逆にいえば、市場、情報の公正さなどは、刑罰をもってしても担保されない。
という現実故に成文化された「法=ことば」であると思います。

でもって、立法化される前にある、有象無象こそが「リスク」であって
それゆえに「完全に透明な市場などは存在せず、」なわけです。
不透明を内包するが故に、リスクが生じ、そのリスクを「売り買い」することが
資本主義の「智恵」なのだとすれば、「八百長ありの」は、資本主義の前提だと思えるのです。

株式投資とは、刑罰を持ってしてまで守ろうとするs

合法的かつ合理的な振る舞いと、
前述の有象無象の領域が重なるところにあるのだという認識が
ゲームの参加者には求められるのだと思います。
(2007.03.21 20:05:34)

Re:なんで(03/17)-4   mememe さん
長文ですいません。これでわり。


ちなみに、株式公開をして多額の資金を得ても、
その資金が利益を生みだす実業は、そう簡単には出来上がらない。
一方で、株主は株価向上と配当を期待しているわけですから
そこで、手っ取り早く実業と利益を手に入れるためには
会社の売り買いぐらいしか、方法がないんじゃん!?というのが
現実に会社経営に携わっている者の感想です。

で一度、その流れに乗ってしまった堀江氏は、
やむなくかどうかは判りませんが、涙ぐましい「犯罪」を犯すに至った。
というのがコトの真相のような気がします。

いずれにしても、誰もが「被害者」であることを
臆面もなく主張する昨今の風潮は、なんだか「たちが悪い」。
でもって、そこに「自己責任」というワードを投げかけても
あんまり上手くはいかないよ。という
平川・内田両氏の云わんとするところを日々感じています。 (2007.03.21 20:08:51)

はじめまして   nono さん
「知らない」ということは恐ろしいことですね。
この誤解は「でんわさん」のように知っている人から見たら恐ろしいんです。

本当に「粉飾」を知ってください。
市場が破綻してしまいますよ。 (2007.03.22 12:50:19)


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