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カテゴリ:思い出の「リストラ」
6年前に転職した会社を語る2ちゃんねるを訪れると、まだその時の残滓とリストラを引き摺る会社の苦闘が伺える。 苦い思い出の一つに、リストラにあって転職先を探す苦労を交換しようと作った掲示板のことがある。 リストラで会社を去る時のゴタゴタは、会社を辞する爽やかさとは裏腹に、イヤーな感じが漂うものだ。 特にこの掲示板を主催した思いには、社長への鬱憤晴らしや、苦境に陥ったことへの恨みつらみがあったことは否定できない。 それを冷静に押さえつつの、従業員同士の意見交換にしたかったのだが、逆に傷ついてしまった。 それは、会社への恨みつらみで盛り上がり、転職の難しさの経験交換で繁盛すると期待したものとは全く逆に、無反応・無視あるいは水を浴びせる反応が多かったことだった。 昨今の、刹那的殺傷事件の原因と見られるネットでの孤独感と似たようなものを感じた。 そして「所詮、連帯感や同情・共感を動機に掲示板などを主催すると、そのあざとさ、わざとらしさを嫌悪して、逆に攻撃的になる」という現代日本人の習性というか、嫌らしさを感じた。 リストラを題材にした2チャンネルのサイトは、たいていアラシが醜い茶々をいれて、うまくいっていないことが多い。それが赤裸々な人間関係の実態を表現はしているが、善意の主催であればあるほど、攻撃されていると思う。 米国での経験から類推するに、米国でリストラ掲示板が立った場合に、これほど攻撃的・揶揄的になるとは思えない。むしろキリスト教的というのか、ポジティブな反応で、支えあうのではないか? 日本人のクセというものは、何に対しても一度否定したがるネガティブ性だ。苦境にある人間にさえ、またお互いに苦境に立っているときでさえ、単純に共感・激励しあうということが出来ない。 匿名のネット掲示板の場合は特に、不心得物が場を台無しにしてしまう可能性が高い。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008年08月26日 01時12分51秒
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