カテゴリ:歴史
毎週日曜日に放送されているNHKの大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」ですが、先週の放送では豊臣秀次がメインでした。 豊臣秀次は、秀吉の姉の子供で、秀吉にとっては甥にあたります。ご存じのように百姓から成りあがった秀吉には、一族といえるような家系はなく、妻である北政所(おね)の一族と自分の直系の親族しかいないので、この秀次は貴重な一族の男子でした。 秀吉もこの甥の秀次に関白職を譲っていましたから、当初は大切に思っていたのでしょうが、淀君が秀頼を産んでからは、何を思ったのか、秀次に切腹をさせてしまいます。 先週の大河ドラマでは、秀次のことを淀君が心配ているような場面がありましたが、僕が知っている、というか以前に聞いたり、読んだりした限りでは、秀吉が秀次を追いやったのは、淀君にそそのかされたためだというものでした。 今回の大河ドラマでは、淀君は「良い人」に描かれているようですね。歴史上の真実はどうなんでしょうか?あまりに通説と異なる場面が出てくると、なにやら、困惑してしまいます。 通説と異なると言えば、石田三成はいつも登場しますが、加藤清正や福島正則は一向に現れませんね。それに、この当時、秀吉と親しかった前田利家の姿もありませんし・・・。 ともあれ、豊臣秀次という、あまりテレビや映画で取り上げられることのない人物が、細かく描写されていたことは、僕のような歴史好きな親父としては、喜ばしいことです。 豊臣秀次 この豊臣秀次は、切腹した時にはまだ28歳だったそうです。男の子もすでに生まれていたとのことで、、この秀次がそのまま関白を務めていたら、その後の歴史も違ったものになっていたかもしれません。
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