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宋慶齢故居

宋慶齢・宋美齢という美人で才媛の女性姉妹の名はよく耳にしていた。この姉妹は、慶齢は孫文夫人、美齢は蒋介石夫人である。2人は中国と台湾に住み別れ、劇的な生涯を送っている。
「胡同」(フートン)という昔ながらの北京の残影として外国人に人気の街の近くにその大邸宅はあった。門から家まで大きな木々に彩られた緑豊かな家である。

宋慶齢は、1893年生まれというから毛沢東と同年である。中国と台湾双方で国父と慕われる孫文(1866年生まれ)とは17歳の年齢差だ。1981年という最近まで生きて素晴らしい業績を遺した女傑である。因みに魯迅は1886年生まれだ。中国語のパンフレットには「光輝的一生」という表現で、その生涯を総括している。

2階建ての大きな自宅の中で展示される写真、遺品などに興味をそそられる。1893年から1981年は「求学立志」の時代でアメリカで博士号を取得している。
1914年から1925年は「相伴十年」の時代で孫文との夫婦の時代である。誕生日祝いに贈られた拳銃(!)などもあった。
1925年から1930年は「継承遺志」の時代、19331年から1945年は「堅持抗戦」、1945年から1949年は「迎接解放」、その後「和人民群介在一起」」、「和平使者」と続く。

魯迅や林悟堂と並ぶ写真(1933年)、上海での若くハンサムな金日成首相と乾杯をしている姿(1958年11月5日)、毛沢東との写真も多い。共産革命成った1949年9月21日付けのフォーマルな写真では、毛沢東が主席で、宋慶齢は副主席だった。
展示してある慶齢が使ったチャイナ・ドレスをみると、大柄の女性だったことがわかる。

1980年の「為国樹人」と記した書があった。子ども達の教育・育成に熱心であった宋慶齢らしいいい書である。そういえば魯迅の本名も周樹人だったことを思い出した。慶齢と美齢は、立場が分かれてからは生涯会わなかった。まさに劇的である。
宋慶齢は1981年5月29日に死去したが、そのときの肩書きは「中華人民共和国名誉主席」だった。偉大な女性である。
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梅蘭芳故居(メイランファン)

京劇の女形として有名な梅蘭芳(1894年--1961年)の故居を訪ねる。この俳優は抗日時に、日本軍の要請を退けるためヒゲを生やして抵抗したという逸話が残っている。歌舞伎の中村歌右衛門や中村猿之助とも交流があったようだ。
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郭沫若同志故居(1892年--1978年)

1892年生まれのこの人物は、中日友好協会会長として記憶している。これも大きな邸宅だが、休みだった。看板の横には「愛国主義基地」との看板があった。
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・家の大きさで職業を比べると、「作家より俳優、俳優より政治家」という感じだ。
・中国では結婚しても女性は姓を変えない。子どもは父母のいずれかの苗字を使う。魯迅は、父が周、母が魯だった。
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夜は、日本航空の同期入社で、現在は北京支店長の大西さんと会食する。蔡君も一緒だ。彼はローマ、ロンドン、ニューヨーク勤務、そして北京という営業の国際派だった。私は整備・客室・広報・経営革新というルートだったので接点は最後の方にいくつかあった程度だった。、私が大学に移ってから会っていない。総務の江澤さん(JR東日本から出向)も一緒だった。楽しい夜となった。





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Last updated  2005/10/02 11:01:40 PM
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