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久恒啓一

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徳富蘇峰(1863-1957年)は25歳の時に日本最初の総合雑誌「国民の友」を発刊、続いて28歳の時に「国民新聞」を創刊したジャーナリストである。国民の友は、政治・社会・経済及び文学の評論を目指して、平民主義を唱えており、国粋主義の「日本人」と論壇を二分した。
この蘇峰の足跡を訪ねて大田区立山王草堂記念館を訪問した。

明治維新を書くという志を持った蘇峰は織豊時代にまで遡るべきという考えから、世界最大の著作「近世日本国民史」全100巻を書いた。驚くべきことに、この畢竟の大作は56歳から90歳までの実に34年間を費やしている。56歳では第1巻「織田氏時代」、そして100巻が「明治時代」である。総ページ数42,468ページ、総文字数は19,452,952でギネスブックにも「最も多作な作家」とある。この間、毎朝5時に起きて原稿用紙17万枚を埋めた。旅行に際しても史料をつめた大きなカバンを持参して旅先でも、病中でも、そして家族の死亡でも執筆を継続している。三叉神経病、眼病を患った80歳の時には「本日ハ顔面神経病尤モ劇。ソノ為めシバシハ筆を投シ、漸ク之を稿了セリ。後人ソノ苦を察セヨ」と第83巻執筆時に述べている。

蘇峰は交遊が広い。与謝野晶子、鳩山一郎、緒方竹虎、佐々木信綱、橋本関雪、尾崎行雄、加藤高明、斉藤茂吉、土屋文明、賀川豊彦などの名前と手紙などの資料が飾ってある。古希の祝いの時に与謝野晶子が歌を詠んでいる。「わが国のいにしへを説き七十路(ななじ)す 未来のために百歳もせよ」「高山のあそは燃ゆれど白雪を置くかしこさよ先生の髪」。多くの人に尊敬された学識、人柄を偲ばせる。

蘇峰は1924年大田区大森の山王の地に居宅を建て、山王草堂と命名して、起居する。草堂の隣には蘇峰が収集した和漢書10万冊を保存した成き堂文庫も設けられた。鉄筋コンクリート3階、地下1階の堂々たる書庫で、この資料を使ってライフワークである近世日本国民史を書いたのである。名前は蘇峰の祖父徳富美信へ頼山陽が書いた言葉を使った。

蘇峰の本名は徳富猪一郎といったが、若い頃の写真を見ると、大きく聡明そうな眼を持ったさわやかな青年だった。また70歳代、80歳代の晩年の顔もその学識や人柄を感じさせるいい顔をしている。
蘇峰の記念館は5つもある。熊本、水俣、大田区山王、二宮、山中湖。そして生誕記念館は益城町、水俣市にある。

記念館の中に展示された建物は、山王草堂の2階部分を復元したもので、蘇峰の書いた本などが展示されている。

記念館で蘇峰関係の書籍を求めたが、売っていない。熱心に書籍を売る記念館もあれば、そっけない記念館もある。この記念館は後者の方だ。展示してあるものを列挙すると、「蘇峰自伝」(徳富蘇峰・日本図書センター)、「弟 徳富蘆花」(中公文庫)、「近世日本国民史」、「近代日本人のアメリカ観」(沢田次郎・慶應出版会)、「吉田松陰」(岩波文庫ワイド版)。

蘇峰は、総合雑誌や新聞を発刊したが、28歳で同志社大学創立に尽力、34歳でトルストイ訪問、49歳貴族院議員、63歳帝国学士院会員、75歳帝国芸術院会員、81歳文化勲章、92歳水俣市名誉市民、熊本市名誉市民と、活動範囲が広い。そしてライフワークである大著作をを56歳からはじめ90歳で完結したという偉業に感嘆する。高齢化時代に生きる私たちに勇気を与える生き方でもある。

いったい蘇峰とは何者であるか。蘇峰という人物は、思想や行動があまりに変化に富んでいるので、なかなかその全貌をとらえることができない。
「維新以前に於いては尊王攘夷たり、維新以降に於いては自由民権たり、而して今後に於いては国民的膨張たり」(日本国民の活題目)とその思想は時代とともに変化している。蘇峰はつねに時事に即して最良の歴史的対策と選択を構想しつづけた歴史思想家であったのではないかと指摘している書もある。変化する時代の潮流の中で、日本の進むべき道を構想し続けた人だと言えるかもしれない。

草堂のある記念公園は、山あいにあり美しい紅葉に彩られていて、訪ずれる市民も多い。大森から馬込にかけての地図が公園の入り口に掲示されている。この付近は九十九谷と呼ばれたほど起伏の多い土地だが、馬込文士村とも呼ばれている。「馬込放送局」と情報発信力の高さをうたわれた尾崎士郎・宇野千代夫妻がこの地に居を構えた影響を受けて、関東大震災後に、多くの文人が集まっている。






Last updated  2005/12/04 04:25:13 PM
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