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カテゴリ:国内政治経済
数年前から、この強制不妊手術で、患者側が国家の責任を求め、揉めている。今は本人の人権が重要な時代になったが、昔はそうではなかったのです。 そして、社会的に子供は親に似るもので、精神障碍者なら、子供を産まない方が良いとの常識もあった。 また当時は人口も多く、日本人が遠い外国に、人減らしの為、移民までした時代だった。この様な時代の差に寄る責任問題なのだ。 どこまで責任を認めれば解決できるのだろうか? まあ命は必ず亡くなり、それでもめ事が終わると良いが、生き残った関係者が訴えるなら、何時までも消えない問題でもある。 マスコミは完全に訴える側に付いての報道をするが、私は子供だったが、当時としては、或る程度社会に認められた法律だった様に感じる。早く終わって欲しいものだ。 そして今でも、この問題が発生している。障害の人が結婚する時、施設側が不妊手術をそれとなく求める事だ。 自分の生活も、誰かに見て貰う人が子供を産むと、子供の世話は当然出来ないから、その不妊手術を認めるのが、当然な気もするけど、どうなのだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.06.23 06:01:40
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