JINさんの陽蜂農遠日記

2019/11/02(土)00:55

北京・世界遺産の旅へ(その2 故宮博物院・紫禁城へ:6/10)

バスにて天安門広場近くに向かう。 天安門広場、故宮(紫禁城)の観光は最終日の予定であったが、最終日には訪中中の プーチン大統領一行が故宮に来る可能性があり、その場合、入場が制限される可能性が あるとのことで、急遽初日の午後の観光に変更になったのであった。 北京 Capital Hotel。 ​​​​ ​​ 中国の主要都市で次々と各社が参入しているレンタル自転車。30分1元の料金は電子決済、 スマホで空き自転車がどこにあるかわかると。 ​​ ​​ 京奉鐵路正陽門東車站舊(けいほうてつろしょうようもんひがししゃたん)址。 現在は中国鉄道博物館正陽門館。 正陽門館は現在の北京站の西にあるが、かつてはこの正陽門館が北京站であったと。 北京と奉天(現在の瀋陽)を結ぶ京奉鉄道の北京站がここにあたっと。 鉄道が敷設された当時の北京は、街全体が城壁で囲まれた城壁都市「北京城」だった。 他の地から鉄路で北京駅に到着した旅客は、大「北京城」の正面中央玄関たる「正陽門」の、 高く聳える城楼を仰ぎ見つつ、その門をくぐって「城内」(=市内)に入る形になったと。 ​​ ​​ 正陽門(せいようもん)を横から。 前門(ぜんもん)とも呼ばれることもある。 ​​​​ ​​ 天安門広場 配置図。 天安門広場は現在、世界で最大級の広場になっている。あまりにも有名な天安門広場は 北京の象徴であり、その広さは東西500m、南北800mに及び、世界一大きい広場で 面積は44.5万平方mである。 この地では中国人民による民主化運動の舞台となっただけではなく、外国侵略への 反対運動や国の大規模な式典が行われた場所。また外国の来賓を迎え入れた場所でもある。 ​​ ​​広場東側路沿いの歩道を天安門方面に進む。 右手に正陽門(せいようもん)、左手に正阳门箭楼。 ​​ 人民英雄紀念碑とその後方に毛主席記念堂。 ​​ ​​ 正陽門(せいようもん)をズームで。 ​​​​正陽門(前門)は北京の中軸線に建てられた北京内城の正門で高さは42m。 一般には前門と呼ばれている。 元の時代には麗正門と呼ばれ、明の1420年に今の位置に移された。正陽門と改称したのは 1436年。紫禁城に入城する皇帝専用の御門で、臣民は通ることを許されなかった。 1949年1月に北京が共産党によって解放された時、正陽門で中国人民解放軍の 入城儀式が行われた。日本軍も北京を占領したときは、この門で入城行進を行った。 500年以上の歴史があり、中華人民共和国全国重点文物保護単位の一つ。 ​​​​ 人民英雄紀念碑。 天安門広場の中央にそびえる高さ37.94メートルの石碑、 1958年4月に竣工され、5月1日に盛大な除幕式が行われた。 ​​​​天安門広場に位置する中国革命の英雄の顕彰碑。梁思成の設計でつくられたと。 碑は高さ14.7m、幅29m、厚さ1m、重さ60T余りの大石。 表面(北面、従って天安門からみえるのはこちら側)には毛沢東による金文字 (昔は英雄たちの血をあらわす赤文字だった)の「人民英雄永垂不朽」 (人民の英雄は永遠に不滅だ)の揮毫、裏面(南面)には周恩来による顕彰文の 揮毫が刻まれていた。 ​​ ​​ 天安門広場と天安門。 ​​手前は広場東側路。 ​​ ​​ 人民英雄紀念碑と人民大会堂。 ​​​​人民大会堂では毎年3月、全国人民代表大会(全人代)と中国人民政治協商会議が、 2週間から3週間の期間で行われる。全人代は10000席を備えた大会議場において開催され、 その別室では全国人民代表大会常務委員会が開かれる。また、人民大会堂の中央ホールでは 5年に1度、中国共産党の総会が開かれている。 ​​ ​​​​ 人民大会堂の紋章は五星紅。 ​​ 広場東側路越しに、左から正阳门箭楼、正陽門、毛主席記念堂。 ​​ ​​ 天安門広場前の道路・広場東側路。 ​​片側5車線、計10車線の通り。道幅50m、広いところは100mもある北京のメインストリート。 東単北大街と建国門内大街が交わる東単と西単からそれぞれ東西に延び、東単は建国門に、 西単は復興門へとつながっている。建国門から復興門までの長さは約13.4キロ。 ​​ ​​ 再び毛主席記念堂。 ​​毛主席紀念堂は中国の首都である北京の天安門広場にある毛沢東の霊廟。 中には防腐処理の上でミイラ化された毛沢東の遺体が展示されていて、 それを無料で観覧できるようになっていると。 ​​ ​​ 中国国家博物館。 ​​中華人民共和国北京市の天安門広場東側に位置する総合博物館。 2003年以前は同一建物に「中国歴史博物館」と「中国革命博物館」という 別の博物館が設置されていたが、2003年に合併して国家博物館と改編された。 ​ ​​ 再び人民英雄紀念碑。 ​​ ​​ 天安門広場の労働者の像。 ​​ ​​ 天安門と国旗掲揚台。 ​​ ​​ 毛主席記念堂と毛主席記念堂。 ​​ ​​​​​​ 国旗掲揚台。 ​​ ​​ 掲揚台の周りは夏の炎天下でも冬の寒風の中でも直立不動の姿勢で微動だにせぬ衛兵に 守られているのであった。 ​​ ​​ ​天安門に向かって進む。​ ​​黄色の瑠璃瓦に赤い壁、きわめて壮麗である。 明、清時代には皇帝の即位や皇后の冊立などの重大な国事の際はこの楼上より詔を発した。 1949年10月1日に毛沢東が中華人民共和国の成立を世界に向けて宣言したのもこの楼上である。 ​​ ​​ 巨大な毛沢東肖像画。 ​​ ​​ 西長安街の下の地下道を渡る。 ​​ ​​ 天安門前に出る。 華表(かひょう)は中国の伝統建築様式に用いられる標柱。 精美な彫刻が施された白玉製の華麗なその柱頭では、善意を判断する力を持つと 伝えられる「望天犼」が見張り役を務めているのだと。 ​​天安門前にあるこの「望天犼」は、頭をもたげ、南を望んでいる。 言い伝えによると、これは「南門に面して、天子の帰りを待つ」という役目を持ち、 皇帝が城を出た場合、なるべく早く戻って、朝廷の政務を執るよう忠告しているので、 「望君帰」とも言うのだと。 ​​ ​​​​ 北京と言えば、まず思い浮かぶのがこの天安門。 こがね色の瑠璃瓦、ベンガラ色の城壁、護城河といわれる堀の 白い大理石の欄干が印象的な城門は、北京のシンボルでもある。 中央の門の上部には中国の初代国家主席毛沢東の像が掲げられ、楼閣の上部には 国章が飾られていた。 ​​ ​​ 天安門前から毛主席記念堂と毛主席記念堂。 ​​​手前は​天安門広場前の道路・東&西長安街。 ​​片側5車線、計10車線の大通り。 東単北大街と建国門内大街が交わる東単と西単からそれぞれ東西に延び、東単は建国門に、 西単は復興門へとつながっている。建国門から復興門までの長さは約13.4キロ。 ​​​​ ​​ 中国国旗がはためく。 ​​中華人民共和国の国旗は、赤地に5つの黄色い五芒星を配したもので、 五星紅旗(ごせいこうき)と呼ばれる。 赤色は革命を、黄色は光明を表す。  また、大星は中国共産党の指導力を、4つの小星はそれぞれ 労働者、農民、小資産階級・愛国的資本家、知識人の4つの階級を表す。 ​​ ​​ 天安門の前には、人造の川が流れ、そこに白玉石の橋が架かっていた。 橋の欄干には見事な龍の彫刻が施されていた。これらの橋の四隅には大きな石の獅子が座っていた。 ​​これが外金水橋で中央の橋は皇帝・皇后専用、その両脇が皇族用、その外側が身分に応じた 官吏用と分かれていたと。中央の橋は通行禁止。 ​​ ​​ 金水河。 ​​ ​​ 『世界人民大国万歳』の文字が。 ​​ ​​ 天安門を潜る。 中華人民共和国の北京市東城区に位置する城門。世界遺産・故宮(紫禁城)の 正門であった門であり、楼上で毛沢東が中華人民共和国の建国宣言を行い、 中華人民共和国の国章にもその姿が描かれるなど、中華人民共和国の象徴の ひとつとされている。天安門広場とは「長安街」通りを隔てて隣接している。 ​​午門そして華表が前方に。 天安門の後ろにあるこの華表の「望天犼」は、紫禁城を望んでいる。皇帝が皇城にばかりいないで、 宮中の豪華な生活に溺れず、外へ出て、庶民の暮らしを見て、庶民の苦しみを視察するよう 戒めているので、「望君出」とも言う。その故、「華表」は「望柱」とも言われていると。                      ・・・​つづく​・・・

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