村をよくするとか、国をよくするとか、お題目はいいが、では何をするのかという時、脳ある者や野心家は自分ではそれと気付かず、とかく論理をぶらさげて人を動かそうとするだろう。「人を動かす」という有名な書物があるが、資本主義的、民主主義的にことを運ぼうとする者達はいつもそういう書を好んで読み、事業以外のことにも応用するもんである。
ある農業の取り組みの会で、壇上でとうとうと演説する者達の提案にソクラテス君はいつも苦々しく言った。
「それを誰が実行するんだ?いいことばかり言ってないでまずお前がやってみろ!」と。
中矢伸一は五百円の資料請求代をとって一年も二年もなしのつぶて。天明先生は毎日のように鍬を持った。その差は歴然だ。
鍬を持って汗をながしていると、生涯ただの一度もアカデミックな思想に染まらなかった勇者の言葉が脳裏に蘇った。
闘かわれるものがすべてだ!
論理をひっさげて登場した奴らが偉いのではない。僕が偉いのではない。
現実そこにいて、そこで闘う者だ。汗を流し、血を流した者。
あれは六十年代安保の時の詩だったろうが、奇しくも高尾政義の言った二周目の五十年に鬼門が表に表れた。米軍基地はいらないと言うは簡単、実際は至難の難々。
国を考えるとはどういうことか。本当にそこまでの人物はどこにいるか。バブル崩壊から十数年費やしても舵の方向性決められなかった国だ。
闘かわれるものがすべてだ!
人には大地が。天地が。
生まれた時からすべては与えられてあったと教えてくれたシンちゃんと語らいつ、
私は鍬を持つ。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.05.23 08:15:18